縁結びの地・奥出雲で採れた天然水「仁多水(じんおおすい)」の公式ネットショップ

奥出雲の水「仁多水」

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水は全て繋ぐ

2022年5月

色とりどりの花が咲く季節に、とりわけ目を引く大きな花が開花します。「立てば芍薬、座れば牡丹...」と詩に謳われる牡丹と芍薬ですが、見分けがつきにくい花だといわれます。確かに、どちらも英語名は「peony」、つまり英語圏の国では区別されていないのです。同じボタン科・ボタン属の花だからでしょうか…。けれど、この2つの花は全く別の植物です。公園や街中の花壇でふと見かけた時、少し立ち止まって、芍薬なのか、牡丹なのか、問いかけてみては如何ですか? 花の仙人から、お返事メールが届くかもしれません。
色とりどりの花が咲く季節に、とりわけ目を引く大きな花が開花します。「立てば芍薬、座れば牡丹...」と詩に謳われる牡丹と芍薬ですが、見分けがつきにくい花だといわれます。確かに、どちらも英語名は「peony」、つまり英語圏の国では区別されていないのです。同じボタン科・ボタン属の花だからでしょうか…。けれど、この2つの花は全く別の植物です。公園や街中の花壇でふと見かけた時、少し立ち止まって、芍薬なのか、牡丹なのか、問いかけてみては如何ですか? 花の仙人から、お返事メールが届くかもしれません。

色とりどりの花が咲く季節に、とりわけ目を引く大きな花が開花します。「立てば芍薬、座れば牡丹...」と詩に謳われる牡丹と芍薬ですが、見分けがつきにくい花だといわれます。確かに、どちらも英語名は「peony」、つまり英語圏の国では区別されていないのです。同じボタン科・ボタン属の花だからでしょうか…。けれど、この2つの花は全く別の植物です。公園や街中の花壇でふと見かけた時、少し立ち止まって、芍薬なのか、牡丹なのか、問いかけてみては如何ですか? 花の仙人から、お返事メールが届くかもしれません。

【芍薬(綽約)】

芍薬は、チベット、シベリア、朝鮮半島の一部にかけてのアジア原産、ボタン科の多年草。「詩経」(紀元前2000~紀元前1500年頃)に既に記載があり、晋(265-420)の書物では、その当時、観賞用として栽培されていたことが記されています。
草丈は60cmから120cm、花色はピンク、赤、紫、オレンジ、斑点や縞模様が入っているものもあり、咲き方も一重や八重、バラ咲きや翁咲きなど、どれも立派な立ち姿で、日本庭園との相性も良く、開花期にはバラのように香るのも特徴です。
大輪の花がとても美しいので、観賞花の印象が強いのですが、古代から薬用植物として、花から根まで余すことなく使用されてきました。芍薬の根には消炎、鎮痛、抗菌、止血、抗痙攣作用があるとされ、今も葛根湯を始め、多くの漢方薬に配合されています。
中国では「綽約(しゃくやく)」。優しげでしなやかな花の様子を意味する名でしたが、日本には、平安時代以前に薬草として伝わり、「芍」=「鮮やか」「はっきり目立つ」「抜きんでて美しい」薬草ということから「芍薬」になったようです。
古代から中国で広く愛され、大量に栽培されてきた芍薬は、天子を補佐する宰相、「花相」と呼ばれます。花瓶に挿せば華麗で美しく、ふわりと芳香を放ち、薬用にも有用な花は、甘く華やかなだけではなく、物事の筋道を立てて過不足なく国を整え安寧をもたらす「名実揃った国家元首」の姿と重なったのかもしれません。
芍薬は、チベット、シベリア、朝鮮半島の一部にかけてのアジア原産、ボタン科の多年草。「詩経」(紀元前2000~紀元前1500年頃)に既に記載があり、晋(265-420)の書物では、その当時、観賞用として栽培されていたことが記されています。
草丈は60cmから120cm、花色はピンク、赤、紫、オレンジ、斑点や縞模様が入っているものもあり、咲き方も一重や八重、バラ咲きや翁咲きなど、どれも立派な立ち姿で、日本庭園との相性も良く、開花期にはバラのように香るのも特徴です。
大輪の花がとても美しいので、観賞花の印象が強いのですが、古代から薬用植物として、花から根まで余すことなく使用されてきました。芍薬の根には消炎、鎮痛、抗菌、止血、抗痙攣作用があるとされ、今も葛根湯を始め、多くの漢方薬に配合されています。
中国では「綽約(しゃくやく)」。優しげでしなやかな花の様子を意味する名でしたが、日本には、平安時代以前に薬草として伝わり、「芍」=「鮮やか」「はっきり目立つ」「抜きんでて美しい」薬草ということから「芍薬」になったようです。
古代から中国で広く愛され、大量に栽培されてきた芍薬は、天子を補佐する宰相、「花相」と呼ばれます。花瓶に挿せば華麗で美しく、ふわりと芳香を放ち、薬用にも有用な花は、甘く華やかなだけではなく、物事の筋道を立てて過不足なく国を整え安寧をもたらす「名実揃った国家元首」の姿と重なったのかもしれません。

芍薬は、チベット、シベリア、朝鮮半島の一部にかけてのアジア原産、ボタン科の多年草。「詩経」(紀元前2000~紀元前1500年頃)に既に記載があり、晋(265-420)の書物では、その当時、観賞用として栽培されていたことが記されています。
草丈は60cmから120cm、花色はピンク、赤、紫、オレンジ、斑点や縞模様が入っているものもあり、咲き方も一重や八重、バラ咲きや翁咲きなど、どれも立派な立ち姿で、日本庭園との相性も良く、開花期にはバラのように香るのも特徴です。
大輪の花がとても美しいので、観賞花の印象が強いのですが、古代から薬用植物として、花から根まで余すことなく使用されてきました。芍薬の根には消炎、鎮痛、抗菌、止血、抗痙攣作用があるとされ、今も葛根湯を始め、多くの漢方薬に配合されています。
中国では「綽約(しゃくやく)」。優しげでしなやかな花の様子を意味する名でしたが、日本には、平安時代以前に薬草として伝わり、「芍」=「鮮やか」「はっきり目立つ」「抜きんでて美しい」薬草ということから「芍薬」になったようです。
古代から中国で広く愛され、大量に栽培されてきた芍薬は、天子を補佐する宰相、「花相」と呼ばれます。花瓶に挿せば華麗で美しく、ふわりと芳香を放ち、薬用にも有用な花は、甘く華やかなだけではなく、物事の筋道を立てて過不足なく国を整え安寧をもたらす「名実揃った国家元首」の姿と重なったのかもしれません。

【牡丹】

芍薬が人民に愛され続けた名宰相なら、牡丹は高貴な花としての地位を確立していきます。
牡丹は中国原産のボタン科の落葉低木ですが、唐の書物に「木芍薬」の名で記されているので、芍薬の方が歴史が古いようです。観賞用に栽培されるのは、6世紀末の隋代以降で、唐代に大流行。この牡丹ブームが到来の背景には、殊の外、牡丹を愛した楊貴妃の存在があるようです。豪華な牡丹と美を競う豊満な美女・楊貴妃(717~762)の饗宴は、詩に謳われ、寺院には牡丹園が多く造られ、それ以降、艶やかな牡丹は「花王」「花神」「富貴草」「百花の王」「名取草」「二十日草」と称され、中国の国花になっていきます。
4~5月が見ごろですが、春と秋に花を咲かせる二季咲き性の寒牡丹もあるので、11~1月にも楽しむことができます。一重咲、八重咲、千重咲、万重咲、多様な咲き方で、色も白、赤、紅白、紫、黄、黒、ピンク、オレンジと、バリエーション豊富です。
芍薬が人民に愛され続けた名宰相なら、牡丹は高貴な花としての地位を確立していきます。
牡丹は中国原産のボタン科の落葉低木ですが、唐の書物に「木芍薬」の名で記されているので、芍薬の方が歴史が古いようです。観賞用に栽培されるのは、6世紀末の隋代以降で、唐代に大流行。この牡丹ブームが到来の背景には、殊の外、牡丹を愛した楊貴妃の存在があるようです。豪華な牡丹と美を競う豊満な美女・楊貴妃(717~762)の饗宴は、詩に謳われ、寺院には牡丹園が多く造られ、それ以降、艶やかな牡丹は「花王」「花神」「富貴草」「百花の王」「名取草」「二十日草」と称され、中国の国花になっていきます。
4~5月が見ごろですが、春と秋に花を咲かせる二季咲き性の寒牡丹もあるので、11~1月にも楽しむことができます。一重咲、八重咲、千重咲、万重咲、多様な咲き方で、色も白、赤、紅白、紫、黄、黒、ピンク、オレンジと、バリエーション豊富です。

芍薬が人民に愛され続けた名宰相なら、牡丹は高貴な花としての地位を確立していきます。
牡丹は中国原産のボタン科の落葉低木ですが、唐の書物に「木芍薬」の名で記されているので、芍薬の方が歴史が古いようです。観賞用に栽培されるのは、6世紀末の隋代以降で、唐代に大流行。この牡丹ブームが到来の背景には、殊の外、牡丹を愛した楊貴妃の存在があるようです。豪華な牡丹と美を競う豊満な美女・楊貴妃(717~762)の饗宴は、詩に謳われ、寺院には牡丹園が多く造られ、それ以降、艶やかな牡丹は「花王」「花神」「富貴草」「百花の王」「名取草」「二十日草」と称され、中国の国花になっていきます。
4~5月が見ごろですが、春と秋に花を咲かせる二季咲き性の寒牡丹もあるので、11~1月にも楽しむことができます。一重咲、八重咲、千重咲、万重咲、多様な咲き方で、色も白、赤、紅白、紫、黄、黒、ピンク、オレンジと、バリエーション豊富です。

【牡丹文化】

牡丹は文学や芸術の世界でも愛され、中国文学では詩歌に盛んに詠われ、絵画でも長く使われてきたモチーフです。
北宋の文人・蘇東坡(1032~1101)は牡丹見物の帰り、牡丹の美に酔い、はめを外して、自分は恥ずかしげもなく牡丹の花を髪に挿すものの、牡丹の方は恥ずかしいだろうと、ほろ酔い気分で人に支えられながら歩く、老いた自分の姿をユーモラスに詩にしています。
食通でも有名な蘇東坡は、政治抗争に巻き込まれ湖北省に流刑となっても「魚の美なるを知り、筍の香ばしさを覚ゆ」と、大地への信頼は揺るがず、見知らぬ風土への期待に胸膨らませた人生の達人でもありました。
日本では、「枕草子」「蜻蛉日記」などにも牡丹の絵が描かれていることから、平安時代には観賞用として用いられていたと考えられています。
牡丹は文学や芸術の世界でも愛され、中国文学では詩歌に盛んに詠われ、絵画でも長く使われてきたモチーフです。
北宋の文人・蘇東坡(1032~1101)は牡丹見物の帰り、牡丹の美に酔い、はめを外して、自分は恥ずかしげもなく牡丹の花を髪に挿すものの、牡丹の方は恥ずかしいだろうと、ほろ酔い気分で人に支えられながら歩く、老いた自分の姿をユーモラスに詩にしています。
食通でも有名な蘇東坡は、政治抗争に巻き込まれ湖北省に流刑となっても「魚の美なるを知り、筍の香ばしさを覚ゆ」と、大地への信頼は揺るがず、見知らぬ風土への期待に胸膨らませた人生の達人でもありました。
日本では、「枕草子」「蜻蛉日記」などにも牡丹の絵が描かれていることから、平安時代には観賞用として用いられていたと考えられています。

牡丹は文学や芸術の世界でも愛され、中国文学では詩歌に盛んに詠われ、絵画でも長く使われてきたモチーフです。
北宋の文人・蘇東坡(1032~1101)は牡丹見物の帰り、牡丹の美に酔い、はめを外して、自分は恥ずかしげもなく牡丹の花を髪に挿すものの、牡丹の方は恥ずかしいだろうと、ほろ酔い気分で人に支えられながら歩く、老いた自分の姿をユーモラスに詩にしています。
食通でも有名な蘇東坡は、政治抗争に巻き込まれ湖北省に流刑となっても「魚の美なるを知り、筍の香ばしさを覚ゆ」と、大地への信頼は揺るがず、見知らぬ風土への期待に胸膨らませた人生の達人でもありました。
日本では、「枕草子」「蜻蛉日記」などにも牡丹の絵が描かれていることから、平安時代には観賞用として用いられていたと考えられています。

【牡丹と芍薬の見分け方】

牡丹は晩春に咲き、芍薬は初夏に開花するので、牡丹が終わると芍薬の季節と言われてきましたが、最近の異常気象では自然界もおかしくなるので、指標になりません。
大きくどっしり貫禄ある方が牡丹、芍薬はやや小振りです。蕾は、牡丹は先端が尖って蕾から蜜は出ませんが、芍薬は球形で蕾から蜜がでるため触るとベタベタします。極めつけは葉の形。牡丹は葉に艶がなく大きく広がり先がギザギザに3つに分かれています。一方、芍薬の葉は艶があり全体に丸みがあります。散り方も大きく異なります。牡丹は散る時に花びらが1枚ずつ一気にパラパラ落ちるのが特徴で、葉は落ちますが、茎は枯れずに残ります。一方、芍薬は花びらが散るのではなく、花の頭ごと落ち、葉も茎も枯れ、根と芽の部分が残るのみ。どちらの花も、あっという間に散って花の形を失うため、その散り方は「崩れる」と表現されます。香りも簡単に見分けるポイントです。芍薬はバラのような甘く爽やかな香りがふわりと漂いますが、牡丹は開花中に香りを感じることはあまりありません。
牡丹は晩春に咲き、芍薬は初夏に開花するので、牡丹が終わると芍薬の季節と言われてきましたが、最近の異常気象では自然界もおかしくなるので、指標になりません。
大きくどっしり貫禄ある方が牡丹、芍薬はやや小振りです。蕾は、牡丹は先端が尖って蕾から蜜は出ませんが、芍薬は球形で蕾から蜜がでるため触るとベタベタします。極めつけは葉の形。牡丹は葉に艶がなく大きく広がり先がギザギザに3つに分かれています。一方、芍薬の葉は艶があり全体に丸みがあります。散り方も大きく異なります。牡丹は散る時に花びらが1枚ずつ一気にパラパラ落ちるのが特徴で、葉は落ちますが、茎は枯れずに残ります。一方、芍薬は花びらが散るのではなく、花の頭ごと落ち、葉も茎も枯れ、根と芽の部分が残るのみ。どちらの花も、あっという間に散って花の形を失うため、その散り方は「崩れる」と表現されます。香りも簡単に見分けるポイントです。芍薬はバラのような甘く爽やかな香りがふわりと漂いますが、牡丹は開花中に香りを感じることはあまりありません。

牡丹は晩春に咲き、芍薬は初夏に開花するので、牡丹が終わると芍薬の季節と言われてきましたが、最近の異常気象では自然界もおかしくなるので、指標になりません。
大きくどっしり貫禄ある方が牡丹、芍薬はやや小振りです。蕾は、牡丹は先端が尖って蕾から蜜は出ませんが、芍薬は球形で蕾から蜜がでるため触るとベタベタします。極めつけは葉の形。牡丹は葉に艶がなく大きく広がり先がギザギザに3つに分かれています。一方、芍薬の葉は艶があり全体に丸みがあります。散り方も大きく異なります。牡丹は散る時に花びらが1枚ずつ一気にパラパラ落ちるのが特徴で、葉は落ちますが、茎は枯れずに残ります。一方、芍薬は花びらが散るのではなく、花の頭ごと落ち、葉も茎も枯れ、根と芽の部分が残るのみ。どちらの花も、あっという間に散って花の形を失うため、その散り方は「崩れる」と表現されます。香りも簡単に見分けるポイントです。芍薬はバラのような甘く爽やかな香りがふわりと漂いますが、牡丹は開花中に香りを感じることはあまりありません。

【牡丹と芍薬の違い】

牡丹と芍薬の大きな違いは、芍薬は草本性(草)、牡丹は木本性(樹木)です。だから、牡丹は別名「木芍薬」ともいわれます。
「立てば芍薬、坐れば牡丹」は、芍薬は枝分かれせず真直ぐ伸びるのでスラリとした立ち姿の華麗な美人に、牡丹は枝分かれして低く横に広がっていくので、豊かな落ち着きある艶然とした美人に譬えているのです。
牡丹と芍薬の大きな違いは、芍薬は草本性(草)、牡丹は木本性(樹木)です。だから、牡丹は別名「木芍薬」ともいわれます。
「立てば芍薬、坐れば牡丹」は、芍薬は枝分かれせず真直ぐ伸びるのでスラリとした立ち姿の華麗な美人に、牡丹は枝分かれして低く横に広がっていくので、豊かな落ち着きある艶然とした美人に譬えているのです。

牡丹と芍薬の大きな違いは、芍薬は草本性(草)、牡丹は木本性(樹木)です。だから、牡丹は別名「木芍薬」ともいわれます。
「立てば芍薬、坐れば牡丹」は、芍薬は枝分かれせず真直ぐ伸びるのでスラリとした立ち姿の華麗な美人に、牡丹は枝分かれして低く横に広がっていくので、豊かな落ち着きある艶然とした美人に譬えているのです。

【花仙人】

牡丹にまつわる不思議な物話が今に伝わり、登場する花仙人が不思議な世界に誘ってくれます。原本は明の時代にまで遡り、中国の神仙思想は空想ではなく、人々が実際に見聞きした出来事で、それが口伝で伝わってきたように感じます。※原典は、明の時代の小説集「今古奇観(きんこきかん)」の中の「潅園叟晩(かんえんそうひぐれ)に仙女に逢うこと」

長楽村という小さな村に老人が住んでいました。ひとりきりの身の上でしたが、自分の家も畑もあり、暮らしに困ることなく、毎日を穏やかに不足なく暮らしていました。
この老人、花好きで、また、花を育てるのがたいそう上手でした。どんな花でも、この老人の手にかかると、たちまち根を張り、美しく咲き続け、庭は見事な花園になりました。中でも春先に咲くひときわ艶やかな牡丹の、一つずつの色合いが微妙に異なる花が、互いに混じりあって咲いている様子は、天から五色の雲が舞い降りたようでした。
毎日、落ち葉を取り除き、地面を掃き清め、花の1本1本に丁寧に水をかけます。蕾が開きかけている花があると、大喜びでお酒やお茶を花に供え、「花万歳」を三唱して、お供え物を頂きながら、花の咲くのを待つのでした。花が枯れると、涙を流しながら散華を甕に入れ、甕がいっぱいになると、お茶やお酒をかけ、花の弔いをしてから土中に埋めるのです。
花は1年に1度、それも4、5日、世の中に出るだけです。光や風に遭う為に、何日も何カ月も何年もじっと耐えて、やっとの思いで咲いたものを、人が簡単に手折るなど、とても容認できず、老人の花園は、人目を避けるように扉は固く閉ざされたままでした。
そこに、宮廷役人のドラ息子がやってきます。ごろつきのような手下を連れて別荘に来た途中、この花園を見つけたのです。無理やり中に入ると、酒盛りを始め、手当たり次第に花を折り始めました。手下も面白がって、花びらをむしり取ります。
老人は天にも届く悲痛な叫び声をあげて花を守ろうとしましたが、多勢に無勢、こっちを防げばあっち、あっちを防げばこっちで、花は次々とへし折られ、引きちぎられ、地面に撒き散らされていきます。死に物狂いで止めようとしても、たちまち老人もふり払われ、地面に叩きつけられてしまい、男たちは、散々狼藉を働いて引き上げていきました。
花という花はなぎ倒され、花弁は引き裂かれ、振り撒かれ、踏みにじられ、老人は泣きながら、泥まみれの花びらを拾い始めました。すると、声をかける者があります。振り向くと16、7の美しい娘が立っていました。「お気の毒に。でも、もう一度花を枝に戻せばいいではありませんか」「冗談を言わないでください。無理です」「私は、落下返枝の術を心得ております」「枝に返すことが、できるのですか?」「茶碗に水を持ってきてください」
水を汲んで戻ると、娘の姿はなく、けれど、無残に散らかっていた牡丹の花は、一つ残らず枝に戻っていました。花は五色の色を増し、前より、艶やかに美しく咲いていました。老人はあっけにとられて、花を見つめるばかりでした。
のちに、その老人は、天から降りてきた五色の雲に迎えられ、花仙人となって天に昇っていったそうです。老人が天に去った後も、この地には次々と珍しい花が咲き、人々は、この村を、いつしか長楽村から「百の花の村」と呼ぶようになったそうです。
牡丹にまつわる不思議な物話が今に伝わり、登場する花仙人が不思議な世界に誘ってくれます。原本は明の時代にまで遡り、中国の神仙思想は空想ではなく、人々が実際に見聞きした出来事で、それが口伝で伝わってきたように感じます。※原典は、明の時代の小説集「今古奇観(きんこきかん)」の中の「潅園叟晩(かんえんそうひぐれ)に仙女に逢うこと」

長楽村という小さな村に老人が住んでいました。ひとりきりの身の上でしたが、自分の家も畑もあり、暮らしに困ることなく、毎日を穏やかに不足なく暮らしていました。
この老人、花好きで、また、花を育てるのがたいそう上手でした。どんな花でも、この老人の手にかかると、たちまち根を張り、美しく咲き続け、庭は見事な花園になりました。中でも春先に咲くひときわ艶やかな牡丹の、一つずつの色合いが微妙に異なる花が、互いに混じりあって咲いている様子は、天から五色の雲が舞い降りたようでした。
毎日、落ち葉を取り除き、地面を掃き清め、花の1本1本に丁寧に水をかけます。蕾が開きかけている花があると、大喜びでお酒やお茶を花に供え、「花万歳」を三唱して、お供え物を頂きながら、花の咲くのを待つのでした。花が枯れると、涙を流しながら散華を甕に入れ、甕がいっぱいになると、お茶やお酒をかけ、花の弔いをしてから土中に埋めるのです。
花は1年に1度、それも4、5日、世の中に出るだけです。光や風に遭う為に、何日も何カ月も何年もじっと耐えて、やっとの思いで咲いたものを、人が簡単に手折るなど、とても容認できず、老人の花園は、人目を避けるように扉は固く閉ざされたままでした。
そこに、宮廷役人のドラ息子がやってきます。ごろつきのような手下を連れて別荘に来た途中、この花園を見つけたのです。無理やり中に入ると、酒盛りを始め、手当たり次第に花を折り始めました。手下も面白がって、花びらをむしり取ります。
老人は天にも届く悲痛な叫び声をあげて花を守ろうとしましたが、多勢に無勢、こっちを防げばあっち、あっちを防げばこっちで、花は次々とへし折られ、引きちぎられ、地面に撒き散らされていきます。死に物狂いで止めようとしても、たちまち老人もふり払われ、地面に叩きつけられてしまい、男たちは、散々狼藉を働いて引き上げていきました。
花という花はなぎ倒され、花弁は引き裂かれ、振り撒かれ、踏みにじられ、老人は泣きながら、泥まみれの花びらを拾い始めました。すると、声をかける者があります。振り向くと16、7の美しい娘が立っていました。「お気の毒に。でも、もう一度花を枝に戻せばいいではありませんか」「冗談を言わないでください。無理です」「私は、落下返枝の術を心得ております」「枝に返すことが、できるのですか?」「茶碗に水を持ってきてください」
水を汲んで戻ると、娘の姿はなく、けれど、無残に散らかっていた牡丹の花は、一つ残らず枝に戻っていました。花は五色の色を増し、前より、艶やかに美しく咲いていました。老人はあっけにとられて、花を見つめるばかりでした。
のちに、その老人は、天から降りてきた五色の雲に迎えられ、花仙人となって天に昇っていったそうです。老人が天に去った後も、この地には次々と珍しい花が咲き、人々は、この村を、いつしか長楽村から「百の花の村」と呼ぶようになったそうです。

牡丹にまつわる不思議な物話が今に伝わり、登場する花仙人が不思議な世界に誘ってくれます。原本は明の時代にまで遡り、中国の神仙思想は空想ではなく、人々が実際に見聞きした出来事で、それが口伝で伝わってきたように感じます。※原典は、明の時代の小説集「今古奇観(きんこきかん)」の中の「潅園叟晩(かんえんそうひぐれ)に仙女に逢うこと」

長楽村という小さな村に老人が住んでいました。ひとりきりの身の上でしたが、自分の家も畑もあり、暮らしに困ることなく、毎日を穏やかに不足なく暮らしていました。
この老人、花好きで、また、花を育てるのがたいそう上手でした。どんな花でも、この老人の手にかかると、たちまち根を張り、美しく咲き続け、庭は見事な花園になりました。中でも春先に咲くひときわ艶やかな牡丹の、一つずつの色合いが微妙に異なる花が、互いに混じりあって咲いている様子は、天から五色の雲が舞い降りたようでした。
毎日、落ち葉を取り除き、地面を掃き清め、花の1本1本に丁寧に水をかけます。蕾が開きかけている花があると、大喜びでお酒やお茶を花に供え、「花万歳」を三唱して、お供え物を頂きながら、花の咲くのを待つのでした。花が枯れると、涙を流しながら散華を甕に入れ、甕がいっぱいになると、お茶やお酒をかけ、花の弔いをしてから土中に埋めるのです。
花は1年に1度、それも4、5日、世の中に出るだけです。光や風に遭う為に、何日も何カ月も何年もじっと耐えて、やっとの思いで咲いたものを、人が簡単に手折るなど、とても容認できず、老人の花園は、人目を避けるように扉は固く閉ざされたままでした。
そこに、宮廷役人のドラ息子がやってきます。ごろつきのような手下を連れて別荘に来た途中、この花園を見つけたのです。無理やり中に入ると、酒盛りを始め、手当たり次第に花を折り始めました。手下も面白がって、花びらをむしり取ります。
老人は天にも届く悲痛な叫び声をあげて花を守ろうとしましたが、多勢に無勢、こっちを防げばあっち、あっちを防げばこっちで、花は次々とへし折られ、引きちぎられ、地面に撒き散らされていきます。死に物狂いで止めようとしても、たちまち老人もふり払われ、地面に叩きつけられてしまい、男たちは、散々狼藉を働いて引き上げていきました。
花という花はなぎ倒され、花弁は引き裂かれ、振り撒かれ、踏みにじられ、老人は泣きながら、泥まみれの花びらを拾い始めました。すると、声をかける者があります。振り向くと16、7の美しい娘が立っていました。「お気の毒に。でも、もう一度花を枝に戻せばいいではありませんか」「冗談を言わないでください。無理です」「私は、落下返枝の術を心得ております」「枝に返すことが、できるのですか?」「茶碗に水を持ってきてください」
水を汲んで戻ると、娘の姿はなく、けれど、無残に散らかっていた牡丹の花は、一つ残らず枝に戻っていました。花は五色の色を増し、前より、艶やかに美しく咲いていました。老人はあっけにとられて、花を見つめるばかりでした。
のちに、その老人は、天から降りてきた五色の雲に迎えられ、花仙人となって天に昇っていったそうです。老人が天に去った後も、この地には次々と珍しい花が咲き、人々は、この村を、いつしか長楽村から「百の花の村」と呼ぶようになったそうです。

【世界三大美人が愛した花】

世界三大美人は「楊貴妃」「クレオパトラ」「小野小町」ですが、楊貴妃は「百花の王」といわれる「牡丹」を愛し、小野小町は牡丹に似た「芍薬」別名「東洋の薔薇」を愛し、クレオパトラは西洋で「花の王」と称された「薔薇」をこよなく愛して薔薇風呂に入り、部屋にも敷き詰めていたようです。
牡丹は、木芍薬と呼ばれ、薔薇のような香を放つ芍薬は、フランスでは「聖母のバラ」、スペイン・イタリアでは「山のバラ」と呼ばれていますので、意中の女性に1本選ぶ時は、牡丹の良さと、薔薇の良さを兼ね備えた「芍薬」にしては、如何?
(3枚の写真は、何の花か、見分けがつきますか? 左から、牡丹、芍薬、薔薇です。)
世界三大美人は「楊貴妃」「クレオパトラ」「小野小町」ですが、楊貴妃は「百花の王」といわれる「牡丹」を愛し、小野小町は牡丹に似た「芍薬」別名「東洋の薔薇」を愛し、クレオパトラは西洋で「花の王」と称された「薔薇」をこよなく愛して薔薇風呂に入り、部屋にも敷き詰めていたようです。
牡丹は、木芍薬と呼ばれ、薔薇のような香を放つ芍薬は、フランスでは「聖母のバラ」、スペイン・イタリアでは「山のバラ」と呼ばれていますので、意中の女性に1本選ぶ時は、牡丹の良さと、薔薇の良さを兼ね備えた「芍薬」にしては、如何?
(3枚の写真は、何の花か、見分けがつきますか? 左から、牡丹、芍薬、薔薇です。)

世界三大美人は「楊貴妃」「クレオパトラ」「小野小町」ですが、楊貴妃は「百花の王」といわれる「牡丹」を愛し、小野小町は牡丹に似た「芍薬」別名「東洋の薔薇」を愛し、クレオパトラは西洋で「花の王」と称された「薔薇」をこよなく愛して薔薇風呂に入り、部屋にも敷き詰めていたようです。
牡丹は、木芍薬と呼ばれ、薔薇のような香を放つ芍薬は、フランスでは「聖母のバラ」、スペイン・イタリアでは「山のバラ」と呼ばれていますので、意中の女性に1本選ぶ時は、牡丹の良さと、薔薇の良さを兼ね備えた「芍薬」にしては、如何?
(3枚の写真は、何の花か、見分けがつきますか? 左から、牡丹、芍薬、薔薇です。)

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