縁結びの地・奥出雲で採れた天然水「仁多水(じんおおすい)」の公式ネットショップ

奥出雲の水「仁多水」

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水は全て繋ぐ

2018年8月

<お盆>

霊があの世から戻ってきて再びあの世に帰っていく日本古来の信仰と仏教が結びついた「お盆」は、亡くなった人の霊が灯りを頼りに帰ってくるとされ、8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間にかけて行われます。地方によっては7月一杯をお盆とする地域や、旧暦通り7月15日を中心に行う地域もあります。

お盆とは盂蘭盆会〔うらぼんえ〕、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものを略した言葉で、本来の意味は「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」でした。
また、お盆は供物を盛る器を表しているという説もあります。
霊があの世から戻ってきて再びあの世に帰っていく日本古来の信仰と仏教が結びついた「お盆」は、亡くなった人の霊が灯りを頼りに帰ってくるとされ、8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間にかけて行われます。地方によっては7月一杯をお盆とする地域や、旧暦通り7月15日を中心に行う地域もあります。

お盆とは盂蘭盆会〔うらぼんえ〕、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものを略した言葉で、本来の意味は「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」でした。
また、お盆は供物を盛る器を表しているという説もあります。

霊があの世から戻ってきて再びあの世に帰っていく日本古来の信仰と仏教が結びついた「お盆」は、亡くなった人の霊が灯りを頼りに帰ってくるとされ、8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間にかけて行われます。地方によっては7月一杯をお盆とする地域や、旧暦通り7月15日を中心に行う地域もあります。

お盆とは盂蘭盆会〔うらぼんえ〕、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものを略した言葉で、本来の意味は「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」でした。
また、お盆は供物を盛る器を表しているという説もあります。

初日の朝、霊を迎える精霊棚を作ります。台の上に真菰で編んだゴザを敷き、精霊棚の奥中央に先祖の位牌を安置します。位牌の前には、先祖の霊が「胡瓜の馬」に乗って早く来るように、帰る時は、名残惜しいので「茄子の牛」に乗ってゆっくり帰るよう、願いを込めた精霊馬や精霊牛を供えます。
迎え盆(盆の入り)では、夕方に仏壇や精霊棚(精霊を迎える為、お盆の間だけ設える祭棚)の前に灯りを灯した盆提灯を置き、庭先や門口に皮をはぎ取った麻の茎(麻幹・おがら)を焚き、「迎え火」の灯りと炎で、精霊に戻る家の場所を伝えます。
先祖の墓が家の近くにある場合は、昼間にお墓の掃除とお墓参りをすませ、夕方、墓前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内します。このように、お盆は精霊を家に迎え入れる事から始まります。
精霊が家に留まっている間は、仏壇に供え物をして、迎え入れた精霊の供養をします。 お供え物は、初日は迎え団子(餡のついた団子)、中日はおはぎ、素麺、最終日は送り団子(白い団子)と毎日変えます。
初日の朝、霊を迎える精霊棚を作ります。台の上に真菰で編んだゴザを敷き、精霊棚の奥中央に先祖の位牌を安置します。位牌の前には、先祖の霊が「胡瓜の馬」に乗って早く来るように、帰る時は、名残惜しいので「茄子の牛」に乗ってゆっくり帰るよう、願いを込めた精霊馬や精霊牛を供えます。
迎え盆(盆の入り)では、夕方に仏壇や精霊棚(精霊を迎える為、お盆の間だけ設える祭棚)の前に灯りを灯した盆提灯を置き、庭先や門口に皮をはぎ取った麻の茎(麻幹・おがら)を焚き、「迎え火」の灯りと炎で、精霊に戻る家の場所を伝えます。
先祖の墓が家の近くにある場合は、昼間にお墓の掃除とお墓参りをすませ、夕方、墓前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内します。このように、お盆は精霊を家に迎え入れる事から始まります。
精霊が家に留まっている間は、仏壇に供え物をして、迎え入れた精霊の供養をします。 お供え物は、初日は迎え団子(餡のついた団子)、中日はおはぎ、素麺、最終日は送り団子(白い団子)と毎日変えます。

初日の朝、霊を迎える精霊棚を作ります。台の上に真菰で編んだゴザを敷き、精霊棚の奥中央に先祖の位牌を安置します。位牌の前には、先祖の霊が「胡瓜の馬」に乗って早く来るように、帰る時は、名残惜しいので「茄子の牛」に乗ってゆっくり帰るよう、願いを込めた精霊馬や精霊牛を供えます。
迎え盆(盆の入り)では、夕方に仏壇や精霊棚(精霊を迎える為、お盆の間だけ設える祭棚)の前に灯りを灯した盆提灯を置き、庭先や門口に皮をはぎ取った麻の茎(麻幹・おがら)を焚き、「迎え火」の灯りと炎で、精霊に戻る家の場所を伝えます。
先祖の墓が家の近くにある場合は、昼間にお墓の掃除とお墓参りをすませ、夕方、墓前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内します。このように、お盆は精霊を家に迎え入れる事から始まります。
精霊が家に留まっている間は、仏壇に供え物をして、迎え入れた精霊の供養をします。 お供え物は、初日は迎え団子(餡のついた団子)、中日はおはぎ、素麺、最終日は送り団子(白い団子)と毎日変えます。

最終日の夜は送り盆(盆の明け)で、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じ位置に今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出します。

町で行われる「盆踊り」は、精霊を迎え、慰め、送るための踊りであったと言われ、日本列島が鎮魂で一つになる暑い8月も、お盆が過ぎれば、秋風が吹き始めます。

盆踊りは、手より足の動きを重視しています。これは、足が神送りの意味をもち、天地間にいる人間が地を踏む動作には、霊を封じ込める鎮魂の意味があると言われます。「踊」も足偏ですね。神迎えは手を重視した「舞」になるそうです。
最終日の夜は送り盆(盆の明け)で、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じ位置に今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出します。

町で行われる「盆踊り」は、精霊を迎え、慰め、送るための踊りであったと言われ、日本列島が鎮魂で一つになる暑い8月も、お盆が過ぎれば、秋風が吹き始めます。

盆踊りは、手より足の動きを重視しています。これは、足が神送りの意味をもち、天地間にいる人間が地を踏む動作には、霊を封じ込める鎮魂の意味があると言われます。「踊」も足偏ですね。神迎えは手を重視した「舞」になるそうです。

最終日の夜は送り盆(盆の明け)で、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じ位置に今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出します。

町で行われる「盆踊り」は、精霊を迎え、慰め、送るための踊りであったと言われ、日本列島が鎮魂で一つになる暑い8月も、お盆が過ぎれば、秋風が吹き始めます。

盆踊りは、手より足の動きを重視しています。これは、足が神送りの意味をもち、天地間にいる人間が地を踏む動作には、霊を封じ込める鎮魂の意味があると言われます。「踊」も足偏ですね。神迎えは手を重視した「舞」になるそうです。

■林盛堂(りんせいどう)おわら玉天

おわら風の盆は、富山県富山市八尾地区で、毎年9月1日から3日にかけ行われている富山県を代表する祭です。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で、艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露し、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べが来訪者を魅了します。
その祭りで有名なお菓子が、八尾町で一番古い和菓子屋・林盛堂考案の「おわら玉天」卵白を泡立て、寒天と砂糖の蜜を加え固め、表面に卵黄を塗って周りはこんがり香ばしく、中はふわふわ軽く柔らかく焼き上げた和菓子で秩父宮献上品です。
包み紙の版画、袋のデザインは、棟方志功さんによる物で、志功さんが唯一彫った「おわら」がお菓子を通じて手に入るなんて、嬉しいですね。
おわら風の盆は、富山県富山市八尾地区で、毎年9月1日から3日にかけ行われている富山県を代表する祭です。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で、艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露し、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べが来訪者を魅了します。
その祭りで有名なお菓子が、八尾町で一番古い和菓子屋・林盛堂考案の「おわら玉天」卵白を泡立て、寒天と砂糖の蜜を加え固め、表面に卵黄を塗って周りはこんがり香ばしく、中はふわふわ軽く柔らかく焼き上げた和菓子で秩父宮献上品です。
包み紙の版画、袋のデザインは、棟方志功さんによる物で、志功さんが唯一彫った「おわら」がお菓子を通じて手に入るなんて、嬉しいですね。

おわら風の盆は、富山県富山市八尾地区で、毎年9月1日から3日にかけ行われている富山県を代表する祭です。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で、艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露し、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べが来訪者を魅了します。
その祭りで有名なお菓子が、八尾町で一番古い和菓子屋・林盛堂考案の「おわら玉天」卵白を泡立て、寒天と砂糖の蜜を加え固め、表面に卵黄を塗って周りはこんがり香ばしく、中はふわふわ軽く柔らかく焼き上げた和菓子で秩父宮献上品です。
包み紙の版画、袋のデザインは、棟方志功さんによる物で、志功さんが唯一彫った「おわら」がお菓子を通じて手に入るなんて、嬉しいですね。

<お盆のお供え菓子>

お盆のお供えといえば、落雁でできた蓮の形のお菓子が一般的ですが、「落雁なんて…」と正直思っている方は、仏送りの時に処分されるようです。
確かに昔は安い原料を使ったせいで、美味しいものではありませんでしたが、最近では「和三盆糖」を使用して丁寧に作られたお供え菓子が多くなりました。
お盆のお供え菓子は「甘いだけ…」「粉っぽくて喉につかえる」「どうせ食べないから、安いもので充分」という時代から、「見た目が美しいもの」「宗教的な歴史あるもの」、お供えし終わった後「お下がりを頂くのが楽しみなもの」へと変容しつつあるようです。
お盆のお供えといえば、落雁でできた蓮の形のお菓子が一般的ですが、「落雁なんて…」と正直思っている方は、仏送りの時に処分されるようです。
確かに昔は安い原料を使ったせいで、美味しいものではありませんでしたが、最近では「和三盆糖」を使用して丁寧に作られたお供え菓子が多くなりました。
お盆のお供え菓子は「甘いだけ…」「粉っぽくて喉につかえる」「どうせ食べないから、安いもので充分」という時代から、「見た目が美しいもの」「宗教的な歴史あるもの」、お供えし終わった後「お下がりを頂くのが楽しみなもの」へと変容しつつあるようです。

お盆のお供えといえば、落雁でできた蓮の形のお菓子が一般的ですが、「落雁なんて…」と正直思っている方は、仏送りの時に処分されるようです。
確かに昔は安い原料を使ったせいで、美味しいものではありませんでしたが、最近では「和三盆糖」を使用して丁寧に作られたお供え菓子が多くなりました。
お盆のお供え菓子は「甘いだけ…」「粉っぽくて喉につかえる」「どうせ食べないから、安いもので充分」という時代から、「見た目が美しいもの」「宗教的な歴史あるもの」、お供えし終わった後「お下がりを頂くのが楽しみなもの」へと変容しつつあるようです。

■香川県東かがわ市引田町 和三盆 羽根さぬき本舗 仏事三点セット

和三盆で有名な老舗の干菓子です。口の中でふわっとほどけ、後味がいいのは、素材に惜しみなく、手間と時間をかけているからだと思います。
和三盆で有名な老舗の干菓子です。口の中でふわっとほどけ、後味がいいのは、素材に惜しみなく、手間と時間をかけているからだと思います。

和三盆で有名な老舗の干菓子です。口の中でふわっとほどけ、後味がいいのは、素材に惜しみなく、手間と時間をかけているからだと思います。

■松江市 風流堂 山川

日本三大銘菓は、金沢の森八の「長生殿」、長岡の大和屋の「越乃雪」、そして「山川」ですが、大名茶人・松平不昧公のお好みの「山川」は、他の二つとは異なり、松江藩御用菓子司・三津屋が明治維新後の廃藩に伴い一度姿を消したものを、松江の風流堂が復元したものです。
幕末から明治の変革の中で原材料の寒梅粉自体の製造を初め「山川」の製法は失われており、その復刻は困難を極め、僅かに残された文献を読み、古老や茶人を訪ね、約100年の時を経て、ようやく「山川」が復元しました。
「山川」は寒梅粉、砂糖、塩という実にシンプルな材料。「古代山川」は江戸時代の「山川」と同じく、口どけの良いきめ細やかな和三盆糖を使用。どちらも、寒梅粉独特の歯応えと共に奥深い香りが口に広がり、抹茶の風味を最高に引き出すところは、不昧公好み。乾ききった干菓子ではなく、崩れない程度にしっとりした口当たりの落雁です。
風流堂では通年販売されているので、慶事の紅白落雁と思っている方が多いようですが、不昧公の和歌「散るは浮き、散らぬは沈む紅葉(もみじば)の、影は高尾の山川の水」から命名されたように、紅白は紅葉の季節の山と川で、紅に色づいた紅葉の山と、山の麓を流れる清らかな川を表現した、端正な落雁です。
日本三大銘菓は、金沢の森八の「長生殿」、長岡の大和屋の「越乃雪」、そして「山川」ですが、大名茶人・松平不昧公のお好みの「山川」は、他の二つとは異なり、松江藩御用菓子司・三津屋が明治維新後の廃藩に伴い一度姿を消したものを、松江の風流堂が復元したものです。
幕末から明治の変革の中で原材料の寒梅粉自体の製造を初め「山川」の製法は失われており、その復刻は困難を極め、僅かに残された文献を読み、古老や茶人を訪ね、約100年の時を経て、ようやく「山川」が復元しました。
「山川」は寒梅粉、砂糖、塩という実にシンプルな材料。「古代山川」は江戸時代の「山川」と同じく、口どけの良いきめ細やかな和三盆糖を使用。どちらも、寒梅粉独特の歯応えと共に奥深い香りが口に広がり、抹茶の風味を最高に引き出すところは、不昧公好み。乾ききった干菓子ではなく、崩れない程度にしっとりした口当たりの落雁です。
風流堂では通年販売されているので、慶事の紅白落雁と思っている方が多いようですが、不昧公の和歌「散るは浮き、散らぬは沈む紅葉(もみじば)の、影は高尾の山川の水」から命名されたように、紅白は紅葉の季節の山と川で、紅に色づいた紅葉の山と、山の麓を流れる清らかな川を表現した、端正な落雁です。

日本三大銘菓は、金沢の森八の「長生殿」、長岡の大和屋の「越乃雪」、そして「山川」ですが、大名茶人・松平不昧公のお好みの「山川」は、他の二つとは異なり、松江藩御用菓子司・三津屋が明治維新後の廃藩に伴い一度姿を消したものを、松江の風流堂が復元したものです。
幕末から明治の変革の中で原材料の寒梅粉自体の製造を初め「山川」の製法は失われており、その復刻は困難を極め、僅かに残された文献を読み、古老や茶人を訪ね、約100年の時を経て、ようやく「山川」が復元しました。
「山川」は寒梅粉、砂糖、塩という実にシンプルな材料。「古代山川」は江戸時代の「山川」と同じく、口どけの良いきめ細やかな和三盆糖を使用。どちらも、寒梅粉独特の歯応えと共に奥深い香りが口に広がり、抹茶の風味を最高に引き出すところは、不昧公好み。乾ききった干菓子ではなく、崩れない程度にしっとりした口当たりの落雁です。
風流堂では通年販売されているので、慶事の紅白落雁と思っている方が多いようですが、不昧公の和歌「散るは浮き、散らぬは沈む紅葉(もみじば)の、影は高尾の山川の水」から命名されたように、紅白は紅葉の季節の山と川で、紅に色づいた紅葉の山と、山の麓を流れる清らかな川を表現した、端正な落雁です。

■佐賀市 鶴屋 蓮花 

創業1639年の佐賀御用御菓子司、「丸房露」を長崎の出島でオランダ人より学び佐賀に持ち帰ったことで有名な老舗の盆菓子「蓮花」
この鮮やかさは、長崎のしっぽく料理に繋がるように感じます。見た目華やかで、仏前からお下げした後に中の芯を開けてみると、思わず笑みがこぼれる可愛い七福神の神様達が顔をお出しになるそうな…。
創業1639年の佐賀御用御菓子司、「丸房露」を長崎の出島でオランダ人より学び佐賀に持ち帰ったことで有名な老舗の盆菓子「蓮花」
この鮮やかさは、長崎のしっぽく料理に繋がるように感じます。見た目華やかで、仏前からお下げした後に中の芯を開けてみると、思わず笑みがこぼれる可愛い七福神の神様達が顔をお出しになるそうな…。

創業1639年の佐賀御用御菓子司、「丸房露」を長崎の出島でオランダ人より学び佐賀に持ち帰ったことで有名な老舗の盆菓子「蓮花」
この鮮やかさは、長崎のしっぽく料理に繋がるように感じます。見た目華やかで、仏前からお下げした後に中の芯を開けてみると、思わず笑みがこぼれる可愛い七福神の神様達が顔をお出しになるそうな…。

■京都市中京区 亀末廣「京のよすが」

「京のよすが」は、四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが彩り良く詰め合わされたもの。亀の甲羅の形の小さな六角形の紙箱入りもあります。 
季節に応じて内容が変わるため、四季折々の変化を楽しみに訪れる常連さんも多い老舗です。
秋は、七草として知られる桔梗や女郎花、萩などのモチーフのもの、柿や紅葉がモチーフとなっているもの、菊のモチーフなどがあるようです。
「京のよすが」は、四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが彩り良く詰め合わされたもの。亀の甲羅の形の小さな六角形の紙箱入りもあります。 
季節に応じて内容が変わるため、四季折々の変化を楽しみに訪れる常連さんも多い老舗です。
秋は、七草として知られる桔梗や女郎花、萩などのモチーフのもの、柿や紅葉がモチーフとなっているもの、菊のモチーフなどがあるようです。

「京のよすが」は、四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが彩り良く詰め合わされたもの。亀の甲羅の形の小さな六角形の紙箱入りもあります。 
季節に応じて内容が変わるため、四季折々の変化を楽しみに訪れる常連さんも多い老舗です。
秋は、七草として知られる桔梗や女郎花、萩などのモチーフのもの、柿や紅葉がモチーフとなっているもの、菊のモチーフなどがあるようです。

■京都市東山区 亀屋清永 清浄歓喜団

創業1617年の亀屋清永は、千年以上もの歴史のある供饌菓子(くせんがし)を作り続ける唯一の店。
奈良時代、遣唐使が仏教と共に日本へ持ち込んだ唐菓子は「からくだもの」と呼ばれ、
唐(中国)から、八種(やくさ)の唐菓子と十四種の果餅(かへい)、その製造方法が我国に伝えられました。 天台宗、真言宗などの密教のお供えものとして使われ、当時の一般庶民はとても口にすることはできず、 貴族のみに与えられた食べ物でした。
清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)は、奈良時代に伝わった唐菓子の一種「団喜」、千年の昔の姿そのままに、今なお保存されているものの一つで、「清め」の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ「こし餡」を、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じて、上質な胡麻油で揚げてあります。
伝来当時は、栗、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で味付けし、小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後と伝えられます。
創業1617年の亀屋清永は、千年以上もの歴史のある供饌菓子(くせんがし)を作り続ける唯一の店。
奈良時代、遣唐使が仏教と共に日本へ持ち込んだ唐菓子は「からくだもの」と呼ばれ、
唐(中国)から、八種(やくさ)の唐菓子と十四種の果餅(かへい)、その製造方法が我国に伝えられました。 天台宗、真言宗などの密教のお供えものとして使われ、当時の一般庶民はとても口にすることはできず、 貴族のみに与えられた食べ物でした。
清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)は、奈良時代に伝わった唐菓子の一種「団喜」、千年の昔の姿そのままに、今なお保存されているものの一つで、「清め」の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ「こし餡」を、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じて、上質な胡麻油で揚げてあります。
伝来当時は、栗、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で味付けし、小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後と伝えられます。

創業1617年の亀屋清永は、千年以上もの歴史のある供饌菓子(くせんがし)を作り続ける唯一の店。
奈良時代、遣唐使が仏教と共に日本へ持ち込んだ唐菓子は「からくだもの」と呼ばれ、
唐(中国)から、八種(やくさ)の唐菓子と十四種の果餅(かへい)、その製造方法が我国に伝えられました。 天台宗、真言宗などの密教のお供えものとして使われ、当時の一般庶民はとても口にすることはできず、 貴族のみに与えられた食べ物でした。
清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)は、奈良時代に伝わった唐菓子の一種「団喜」、千年の昔の姿そのままに、今なお保存されているものの一つで、「清め」の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ「こし餡」を、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じて、上質な胡麻油で揚げてあります。
伝来当時は、栗、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で味付けし、小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後と伝えられます。

■亀屋清永 餢飳(ぶと)

餢飳(ぶと)は、奈良時代に伝えられた十四種の果餅の一つで、今日まで主に神社の祭礼の「神饌果」として供えられ、宮中や貴族の間でも用いられた食べ物です。「団喜」と同じく、千年の昔の姿そのままに、米粉と小麦粉で作った生地を、丸く平にして「粒餡」を乗せ、二つに折って、兜(かぶと)形にして、上質な胡麻油で揚げてあります。
かんぞう、あまづら等の薬草で味付けをしていた伝来当時のように、甘さ控えめに仕上げ、天平の昔のよすがをとどめています。
*団喜も餢飳も、召し上がる際、軽く炙ると香味が増すようです。
餢飳(ぶと)は、奈良時代に伝えられた十四種の果餅の一つで、今日まで主に神社の祭礼の「神饌果」として供えられ、宮中や貴族の間でも用いられた食べ物です。「団喜」と同じく、千年の昔の姿そのままに、米粉と小麦粉で作った生地を、丸く平にして「粒餡」を乗せ、二つに折って、兜(かぶと)形にして、上質な胡麻油で揚げてあります。
かんぞう、あまづら等の薬草で味付けをしていた伝来当時のように、甘さ控えめに仕上げ、天平の昔のよすがをとどめています。
*団喜も餢飳も、召し上がる際、軽く炙ると香味が増すようです。

餢飳(ぶと)は、奈良時代に伝えられた十四種の果餅の一つで、今日まで主に神社の祭礼の「神饌果」として供えられ、宮中や貴族の間でも用いられた食べ物です。「団喜」と同じく、千年の昔の姿そのままに、米粉と小麦粉で作った生地を、丸く平にして「粒餡」を乗せ、二つに折って、兜(かぶと)形にして、上質な胡麻油で揚げてあります。
かんぞう、あまづら等の薬草で味付けをしていた伝来当時のように、甘さ控えめに仕上げ、天平の昔のよすがをとどめています。
*団喜も餢飳も、召し上がる際、軽く炙ると香味が増すようです。

■京都市上京区 鶴屋吉信 本店限定 都しるべ

升目を京の都の碁盤の目に見たて、薄く焼き上げたお煎餅と、季節のお干菓子を詰合せた情緒溢れる木箱入りです。裏千家千玄室ご夫人のご命名、ご揮毫です。
升目を京の都の碁盤の目に見たて、薄く焼き上げたお煎餅と、季節のお干菓子を詰合せた情緒溢れる木箱入りです。裏千家千玄室ご夫人のご命名、ご揮毫です。

升目を京の都の碁盤の目に見たて、薄く焼き上げたお煎餅と、季節のお干菓子を詰合せた情緒溢れる木箱入りです。裏千家千玄室ご夫人のご命名、ご揮毫です。

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