縁結びの地・奥出雲で採れた天然水「仁多水(じんおおすい)」の公式ネットショップ

奥出雲の水「仁多水」

アクア:シマノシステム直営の公式ネットショップです。

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水は全て繋ぐ

2018年12月

雪の降る日は、実際、寒いのでしょうか?案外、冷たい雨の日より暖かく感じることもあるのは、錯覚による体感温度なのでしょうか。
雪の重みに頭を悩まし、雪下ろしが難儀な雪国の方には申し訳ない話ですが、東京に降る雪は、もの珍しいからでしょうか。帰り道は雪明りで明るく、別世界のようで日常を忘れさせてくれ、雪が音を吸いこむせいか、しんとした静かな夜になり、雪の白さで心が白く染まるようで、愉快に感じる時があります。
雪の降る日は、実際、寒いのでしょうか?案外、冷たい雨の日より暖かく感じることもあるのは、錯覚による体感温度なのでしょうか。
雪の重みに頭を悩まし、雪下ろしが難儀な雪国の方には申し訳ない話ですが、東京に降る雪は、もの珍しいからでしょうか。帰り道は雪明りで明るく、別世界のようで日常を忘れさせてくれ、雪が音を吸いこむせいか、しんとした静かな夜になり、雪の白さで心が白く染まるようで、愉快に感じる時があります。

雪の降る日は、実際、寒いのでしょうか?案外、冷たい雨の日より暖かく感じることもあるのは、錯覚による体感温度なのでしょうか。
雪の重みに頭を悩まし、雪下ろしが難儀な雪国の方には申し訳ない話ですが、東京に降る雪は、もの珍しいからでしょうか。帰り道は雪明りで明るく、別世界のようで日常を忘れさせてくれ、雪が音を吸いこむせいか、しんとした静かな夜になり、雪の白さで心が白く染まるようで、愉快に感じる時があります。

じつは、雪は空気を多く含んでいるため、意外に断熱効果があるそうです。例えば気温が−20度まで下がった時でも、厚く積もった雪の下では、0度前後から下がりません。だから、雪の中で甘く育つ「雪菜」は厳しい冬を旬とする伝統野菜となり、「かまくら」のような文化も受け継がれてきたのでしょう。

かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」とする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものとする説などがあります。
かまくらは秋田県、新潟県など降雪地に伝わる小正月の伝統行事で、雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀ります。水田稲作地域にとって豊凶を左右するのは水なので、神を頼りにするようになりました。

主役は子供たちです。雪室の中に神を祀り、中に入って楽しみ神に仕えるのは、神に最も近く、神が容易に扱いやすい子供でなければならなかったのです。
雪室の中にムシロを敷いて、隣近所の子供たちが集まり、甘酒を温め、餅を焼いて食べながら道行く人に「入ってたんせ~」「拝んでたんせ~」と声をかけ、中に入った訪問者は、水神様に餅や賽銭をあげ家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、子供たちから甘酒やお餅を振舞われます。

雪が音もなく降る中「かまくら」から灯りがもれ、子供たちのはずんだ声が聞こえてくる情景は、おとぎの国そのもので、ナチスを逃れ日本に滞在したドイツの建築家・ブルーノ・タウトによって「再発見」された日本の美の一つでした。
「ここにも美しい日本がある。それは、およそあらゆる美しいものと同じく、とうてい筆紙に尽すことはできない」
建築界における"知の巨人"と称されるタウトは、「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を日本文化に見出したのです。
じつは、雪は空気を多く含んでいるため、意外に断熱効果があるそうです。例えば気温が−20度まで下がった時でも、厚く積もった雪の下では、0度前後から下がりません。だから、雪の中で甘く育つ「雪菜」は厳しい冬を旬とする伝統野菜となり、「かまくら」のような文化も受け継がれてきたのでしょう。

かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」とする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものとする説などがあります。
かまくらは秋田県、新潟県など降雪地に伝わる小正月の伝統行事で、雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀ります。水田稲作地域にとって豊凶を左右するのは水なので、神を頼りにするようになりました。

主役は子供たちです。雪室の中に神を祀り、中に入って楽しみ神に仕えるのは、神に最も近く、神が容易に扱いやすい子供でなければならなかったのです。
雪室の中にムシロを敷いて、隣近所の子供たちが集まり、甘酒を温め、餅を焼いて食べながら道行く人に「入ってたんせ~」「拝んでたんせ~」と声をかけ、中に入った訪問者は、水神様に餅や賽銭をあげ家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、子供たちから甘酒やお餅を振舞われます。

雪が音もなく降る中「かまくら」から灯りがもれ、子供たちのはずんだ声が聞こえてくる情景は、おとぎの国そのもので、ナチスを逃れ日本に滞在したドイツの建築家・ブルーノ・タウトによって「再発見」された日本の美の一つでした。
「ここにも美しい日本がある。それは、およそあらゆる美しいものと同じく、とうてい筆紙に尽すことはできない」
建築界における"知の巨人"と称されるタウトは、「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を日本文化に見出したのです。

じつは、雪は空気を多く含んでいるため、意外に断熱効果があるそうです。例えば気温が−20度まで下がった時でも、厚く積もった雪の下では、0度前後から下がりません。だから、雪の中で甘く育つ「雪菜」は厳しい冬を旬とする伝統野菜となり、「かまくら」のような文化も受け継がれてきたのでしょう。

かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」とする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものとする説などがあります。
かまくらは秋田県、新潟県など降雪地に伝わる小正月の伝統行事で、雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀ります。水田稲作地域にとって豊凶を左右するのは水なので、神を頼りにするようになりました。

主役は子供たちです。雪室の中に神を祀り、中に入って楽しみ神に仕えるのは、神に最も近く、神が容易に扱いやすい子供でなければならなかったのです。
雪室の中にムシロを敷いて、隣近所の子供たちが集まり、甘酒を温め、餅を焼いて食べながら道行く人に「入ってたんせ~」「拝んでたんせ~」と声をかけ、中に入った訪問者は、水神様に餅や賽銭をあげ家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、子供たちから甘酒やお餅を振舞われます。

雪が音もなく降る中「かまくら」から灯りがもれ、子供たちのはずんだ声が聞こえてくる情景は、おとぎの国そのもので、ナチスを逃れ日本に滞在したドイツの建築家・ブルーノ・タウトによって「再発見」された日本の美の一つでした。
「ここにも美しい日本がある。それは、およそあらゆる美しいものと同じく、とうてい筆紙に尽すことはできない」
建築界における"知の巨人"と称されるタウトは、「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を日本文化に見出したのです。

■雪の結晶

雪の結晶には一つとして同じ形がなく、またその美しさから、花になぞらえて雪華(せっか)と呼ばれてきました。
中国の前漢の時代には、6枚の花弁を持つように見える雪の結晶についてふれた詩が作られ、日本でも平安期には雪の結晶を六つの花(むつのはな)と、表現していました。
黒い布などを敷いて、目を凝らすと肉眼でも観察することができます。
雪の結晶には一つとして同じ形がなく、またその美しさから、花になぞらえて雪華(せっか)と呼ばれてきました。
中国の前漢の時代には、6枚の花弁を持つように見える雪の結晶についてふれた詩が作られ、日本でも平安期には雪の結晶を六つの花(むつのはな)と、表現していました。
黒い布などを敷いて、目を凝らすと肉眼でも観察することができます。

雪の結晶には一つとして同じ形がなく、またその美しさから、花になぞらえて雪華(せっか)と呼ばれてきました。
中国の前漢の時代には、6枚の花弁を持つように見える雪の結晶についてふれた詩が作られ、日本でも平安期には雪の結晶を六つの花(むつのはな)と、表現していました。
黒い布などを敷いて、目を凝らすと肉眼でも観察することができます。

■北海道に本社のある六花亭 六花のつゆ

北海道を代表するお菓子屋になってほしいと、東大寺管長の故清水公照氏が名付けた「六花亭」という屋号。「六花」は「りっか」とも読む雪の異称です。
お砂糖の薄い膜で、香りのよいお酒を包み込んだボンボン。ワイン、ブランデー、うめ酒、ペパーミント、コアントロー、ハスカップの6種類の味が楽しめる、繊細で美しい手のひらサイズの小缶は、さりげない贈り物に適しています。
北海道を代表するお菓子屋になってほしいと、東大寺管長の故清水公照氏が名付けた「六花亭」という屋号。「六花」は「りっか」とも読む雪の異称です。
お砂糖の薄い膜で、香りのよいお酒を包み込んだボンボン。ワイン、ブランデー、うめ酒、ペパーミント、コアントロー、ハスカップの6種類の味が楽しめる、繊細で美しい手のひらサイズの小缶は、さりげない贈り物に適しています。

北海道を代表するお菓子屋になってほしいと、東大寺管長の故清水公照氏が名付けた「六花亭」という屋号。「六花」は「りっか」とも読む雪の異称です。
お砂糖の薄い膜で、香りのよいお酒を包み込んだボンボン。ワイン、ブランデー、うめ酒、ペパーミント、コアントロー、ハスカップの6種類の味が楽しめる、繊細で美しい手のひらサイズの小缶は、さりげない贈り物に適しています。

■火鉢

畳の部屋には火鉢が良く似合います。昔の人は趣向を凝らした陶器や磁器、漆の火鉢、小ぶりでひとり分の手だけを温める「手あぶり」を選び、中央に置いた炭の黒色が、火がおきて赤く染まり、白い灰に変わっていく、絶妙な色の変化に、魅了されながら、物思いに耽ったようです。
よく見ると、真白な化粧灰がさざ波模様になっています…。
畳の部屋には火鉢が良く似合います。昔の人は趣向を凝らした陶器や磁器、漆の火鉢、小ぶりでひとり分の手だけを温める「手あぶり」を選び、中央に置いた炭の黒色が、火がおきて赤く染まり、白い灰に変わっていく、絶妙な色の変化に、魅了されながら、物思いに耽ったようです。
よく見ると、真白な化粧灰がさざ波模様になっています…。

畳の部屋には火鉢が良く似合います。昔の人は趣向を凝らした陶器や磁器、漆の火鉢、小ぶりでひとり分の手だけを温める「手あぶり」を選び、中央に置いた炭の黒色が、火がおきて赤く染まり、白い灰に変わっていく、絶妙な色の変化に、魅了されながら、物思いに耽ったようです。
よく見ると、真白な化粧灰がさざ波模様になっています…。

灰を美しく整え、模様を描くのは日本独自の文化だそうです。神聖な火元の清浄を保つこと、美しい模様を描いてお客様を迎える習慣が、囲炉裏や火鉢を日常的に使っていた頃はあったのです。灰の模様はまさに無限の模様を描けるキャンバス。文字を習う為、灰に字を書いて黒板代わりもしたようです。
※茶の湯の炉の灰を整えるのは「灰形」、囲炉裏や火鉢の灰を整えるのは「灰模様」と呼びます。

灰を美しく整え、模様を描くのは日本独自の文化だそうです。神聖な火元の清浄を保つこと、美しい模様を描いてお客様を迎える習慣が、囲炉裏や火鉢を日常的に使っていた頃はあったのです。灰の模様はまさに無限の模様を描けるキャンバス。文字を習う為、灰に字を書いて黒板代わりもしたようです。
※茶の湯の炉の灰を整えるのは「灰形」、囲炉裏や火鉢の灰を整えるのは「灰模様」と呼びます。

灰を美しく整え、模様を描くのは日本独自の文化だそうです。神聖な火元の清浄を保つこと、美しい模様を描いてお客様を迎える習慣が、囲炉裏や火鉢を日常的に使っていた頃はあったのです。灰の模様はまさに無限の模様を描けるキャンバス。文字を習う為、灰に字を書いて黒板代わりもしたようです。
※茶の湯の炉の灰を整えるのは「灰形」、囲炉裏や火鉢の灰を整えるのは「灰模様」と呼びます。

■雪見窓

部屋の中で座りながら、外の雪景色を障子越しに愛でる
雪見障子があります。
障子の枠が額縁の役割を果たし、まるで一幅の水墨画を観るようです。
部屋の中で座りながら、外の雪景色を障子越しに愛でる
雪見障子があります。
障子の枠が額縁の役割を果たし、まるで一幅の水墨画を観るようです。

部屋の中で座りながら、外の雪景色を障子越しに愛でる
雪見障子があります。
障子の枠が額縁の役割を果たし、まるで一幅の水墨画を観るようです。

■雪見鍋(みぞれ鍋)

鍋に入れた大量の大根おろしが、火が通って半透明になり、みぞれに似ているから命名された鍋料理。
鍋に入れた大量の大根おろしが、火が通って半透明になり、みぞれに似ているから命名された鍋料理。

鍋に入れた大量の大根おろしが、火が通って半透明になり、みぞれに似ているから命名された鍋料理。

■雪見だいふく

人気のロングセラー。雪見障子も雪見鍋も知らないけど、雪見だいふくは知っているという若者も多いはず。最近は抹茶、安納芋、おしるこ、エスプレッソ、みたらし、生チョコ、カラメルプリン、八つ橋風味、クッキークリーム、いちご、みかん、モンブラン、クリームチーズと種類も豊富です。1981年10月の発売を知っている身としては、シンプルイズベスト、元祖が一番と信じているのですが…。
人気のロングセラー。雪見障子も雪見鍋も知らないけど、雪見だいふくは知っているという若者も多いはず。最近は抹茶、安納芋、おしるこ、エスプレッソ、みたらし、生チョコ、カラメルプリン、八つ橋風味、クッキークリーム、いちご、みかん、モンブラン、クリームチーズと種類も豊富です。1981年10月の発売を知っている身としては、シンプルイズベスト、元祖が一番と信じているのですが…。

人気のロングセラー。雪見障子も雪見鍋も知らないけど、雪見だいふくは知っているという若者も多いはず。最近は抹茶、安納芋、おしるこ、エスプレッソ、みたらし、生チョコ、カラメルプリン、八つ橋風味、クッキークリーム、いちご、みかん、モンブラン、クリームチーズと種類も豊富です。1981年10月の発売を知っている身としては、シンプルイズベスト、元祖が一番と信じているのですが…。

■新潟県長岡市 大和屋 「越乃雪」

日本三大銘菓の一つ、新潟の大和屋「越乃雪」は、一時も途切れることなく、継承されてきた銘菓です。

戊辰戦争で焼けても、大戦の空襲で逃げ惑っても、贅沢は敵と言われ、菓子どころではない戦時中の統制経済の中でも、この「越乃雪」だけは、商工省指定の技術保存商品として原材料の配給を受け、一時も途絶えることはありませんでした。

「越乃雪」は河井継之助初めとする新潟・長岡の人々だけでなく、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した多くの人々に愛されてきました。
小林虎三郎が佐久間象山への贈り物にし、明治天皇北陸ご巡幸の折の御在所の茶菓子となり、お供の岩倉具視・大隈重信が買い求め、山本五十六元帥が崩れやすいこの菓子を上手に召し上がった等、この菓子にまつわる人々の話は、枚挙にいとまがありません。

「越乃雪」は、長岡藩主・牧野忠清が病に臥した時、大和屋庄左衛門が考案し献上したのが始まりで、この菓子のおかげで食が進み、病が治り、喜んだ忠清が「越乃雪」と命名したそうです。新潟は豪雪地帯ですから、実際、冬から春にかけて、病が快方に向かったのでしょうか?それとも、病の重苦しさをしんしんと降り積もる雪に譬え、峠を越えた喜びからの命名だったのでしょうか。

明治維新の立役者、29歳でこの世を去った高杉晋作の晩年の病床にも、このお菓子がありました。贈ったのは、硯海堂という人物ですが、おそらく、長岡藩主の病が治った由来に因んで、あの時代、長岡の銘菓を下関まで取り寄せたのでしょう。
けれど、当の本人は回復の見込みはないと覚悟を決めていたのか、この菓子で最後の雪見を楽しんでいたという、いかにも洒落者らしい小粋なエピソードが残っています。

「フト傍らを観る都、小さい松の盆栽があって、其の上に何か白いものを一パイ振りかけてあるから、これは何んですかと聞くと、イヤ俺はもう今年の雪見はできないから、此の間、硯海堂が見舞いに呉れた「越乃雪」を松にふりかけて、雪見の名残をやつて居る所さと微笑された」
この時は臨終の10日前で、見舞いに訪れたのが奇兵隊の一員、やがて伊藤博文政権の元で外交官となる三浦梧楼氏でした。お菓子の記録から、当時の歴史を垣間見ることができるとは、さすがに日本三大銘菓「越乃雪」です。
日本三大銘菓の一つ、新潟の大和屋「越乃雪」は、一時も途切れることなく、継承されてきた銘菓です。

戊辰戦争で焼けても、大戦の空襲で逃げ惑っても、贅沢は敵と言われ、菓子どころではない戦時中の統制経済の中でも、この「越乃雪」だけは、商工省指定の技術保存商品として原材料の配給を受け、一時も途絶えることはありませんでした。

「越乃雪」は河井継之助初めとする新潟・長岡の人々だけでなく、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した多くの人々に愛されてきました。
小林虎三郎が佐久間象山への贈り物にし、明治天皇北陸ご巡幸の折の御在所の茶菓子となり、お供の岩倉具視・大隈重信が買い求め、山本五十六元帥が崩れやすいこの菓子を上手に召し上がった等、この菓子にまつわる人々の話は、枚挙にいとまがありません。

「越乃雪」は、長岡藩主・牧野忠清が病に臥した時、大和屋庄左衛門が考案し献上したのが始まりで、この菓子のおかげで食が進み、病が治り、喜んだ忠清が「越乃雪」と命名したそうです。新潟は豪雪地帯ですから、実際、冬から春にかけて、病が快方に向かったのでしょうか?それとも、病の重苦しさをしんしんと降り積もる雪に譬え、峠を越えた喜びからの命名だったのでしょうか。

明治維新の立役者、29歳でこの世を去った高杉晋作の晩年の病床にも、このお菓子がありました。贈ったのは、硯海堂という人物ですが、おそらく、長岡藩主の病が治った由来に因んで、あの時代、長岡の銘菓を下関まで取り寄せたのでしょう。
けれど、当の本人は回復の見込みはないと覚悟を決めていたのか、この菓子で最後の雪見を楽しんでいたという、いかにも洒落者らしい小粋なエピソードが残っています。

「フト傍らを観る都、小さい松の盆栽があって、其の上に何か白いものを一パイ振りかけてあるから、これは何んですかと聞くと、イヤ俺はもう今年の雪見はできないから、此の間、硯海堂が見舞いに呉れた「越乃雪」を松にふりかけて、雪見の名残をやつて居る所さと微笑された」
この時は臨終の10日前で、見舞いに訪れたのが奇兵隊の一員、やがて伊藤博文政権の元で外交官となる三浦梧楼氏でした。お菓子の記録から、当時の歴史を垣間見ることができるとは、さすがに日本三大銘菓「越乃雪」です。

日本三大銘菓の一つ、新潟の大和屋「越乃雪」は、一時も途切れることなく、継承されてきた銘菓です。

戊辰戦争で焼けても、大戦の空襲で逃げ惑っても、贅沢は敵と言われ、菓子どころではない戦時中の統制経済の中でも、この「越乃雪」だけは、商工省指定の技術保存商品として原材料の配給を受け、一時も途絶えることはありませんでした。

「越乃雪」は河井継之助初めとする新潟・長岡の人々だけでなく、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した多くの人々に愛されてきました。
小林虎三郎が佐久間象山への贈り物にし、明治天皇北陸ご巡幸の折の御在所の茶菓子となり、お供の岩倉具視・大隈重信が買い求め、山本五十六元帥が崩れやすいこの菓子を上手に召し上がった等、この菓子にまつわる人々の話は、枚挙にいとまがありません。

「越乃雪」は、長岡藩主・牧野忠清が病に臥した時、大和屋庄左衛門が考案し献上したのが始まりで、この菓子のおかげで食が進み、病が治り、喜んだ忠清が「越乃雪」と命名したそうです。新潟は豪雪地帯ですから、実際、冬から春にかけて、病が快方に向かったのでしょうか?それとも、病の重苦しさをしんしんと降り積もる雪に譬え、峠を越えた喜びからの命名だったのでしょうか。

明治維新の立役者、29歳でこの世を去った高杉晋作の晩年の病床にも、このお菓子がありました。贈ったのは、硯海堂という人物ですが、おそらく、長岡藩主の病が治った由来に因んで、あの時代、長岡の銘菓を下関まで取り寄せたのでしょう。
けれど、当の本人は回復の見込みはないと覚悟を決めていたのか、この菓子で最後の雪見を楽しんでいたという、いかにも洒落者らしい小粋なエピソードが残っています。

「フト傍らを観る都、小さい松の盆栽があって、其の上に何か白いものを一パイ振りかけてあるから、これは何んですかと聞くと、イヤ俺はもう今年の雪見はできないから、此の間、硯海堂が見舞いに呉れた「越乃雪」を松にふりかけて、雪見の名残をやつて居る所さと微笑された」
この時は臨終の10日前で、見舞いに訪れたのが奇兵隊の一員、やがて伊藤博文政権の元で外交官となる三浦梧楼氏でした。お菓子の記録から、当時の歴史を垣間見ることができるとは、さすがに日本三大銘菓「越乃雪」です。

■冬至 一陽来復(いちようらいふく)

2018年の冬至は12月22日です。一年で一番、日照時間の短く翌日から長くなる日で、中国や日本では、太陽の力が一番弱まった冬至を境に再び力が甦る一陽来復、陰が極まり再び陽にかえる冬至を境に運が向いてくると言われています。
2018年の冬至は12月22日です。一年で一番、日照時間の短く翌日から長くなる日で、中国や日本では、太陽の力が一番弱まった冬至を境に再び力が甦る一陽来復、陰が極まり再び陽にかえる冬至を境に運が向いてくると言われています。

2018年の冬至は12月22日です。一年で一番、日照時間の短く翌日から長くなる日で、中国や日本では、太陽の力が一番弱まった冬至を境に再び力が甦る一陽来復、陰が極まり再び陽にかえる冬至を境に運が向いてくると言われています。

■運盛り

「いろはにほへと」が「ん」で終わることから、「ん」には一陽来復の願いが込められており、冬至に「ん」のつく野菜を食べて「運」を盛る「運」を呼び込む縁起担ぎが「運盛り」です。
ぎんなん、にんじん、だいこん、れんこん、いんげん、うどん、すいとん、きんかん、みかん、いよかん、かんてん、お子さんと「ん」の付くものを列挙して遊んだ後は、実際に買い求めて、「ん」盛り=運盛りをお供えし、最後に一緒にお料理するのも楽しいですね。
冬至に食べる有名なカボチャも「なんきん(南瓜)」です。寒さの厳しい時期、栄養をとって、身体を温めるのは、縁起かつぎだけでなく、先人が考えた冬の乗り切り方だったのでしょう。
「いろはにほへと」が「ん」で終わることから、「ん」には一陽来復の願いが込められており、冬至に「ん」のつく野菜を食べて「運」を盛る「運」を呼び込む縁起担ぎが「運盛り」です。
ぎんなん、にんじん、だいこん、れんこん、いんげん、うどん、すいとん、きんかん、みかん、いよかん、かんてん、お子さんと「ん」の付くものを列挙して遊んだ後は、実際に買い求めて、「ん」盛り=運盛りをお供えし、最後に一緒にお料理するのも楽しいですね。
冬至に食べる有名なカボチャも「なんきん(南瓜)」です。寒さの厳しい時期、栄養をとって、身体を温めるのは、縁起かつぎだけでなく、先人が考えた冬の乗り切り方だったのでしょう。

「いろはにほへと」が「ん」で終わることから、「ん」には一陽来復の願いが込められており、冬至に「ん」のつく野菜を食べて「運」を盛る「運」を呼び込む縁起担ぎが「運盛り」です。
ぎんなん、にんじん、だいこん、れんこん、いんげん、うどん、すいとん、きんかん、みかん、いよかん、かんてん、お子さんと「ん」の付くものを列挙して遊んだ後は、実際に買い求めて、「ん」盛り=運盛りをお供えし、最後に一緒にお料理するのも楽しいですね。
冬至に食べる有名なカボチャも「なんきん(南瓜)」です。寒さの厳しい時期、栄養をとって、身体を温めるのは、縁起かつぎだけでなく、先人が考えた冬の乗り切り方だったのでしょう。

■冬至 柚子湯

冬至にゆず湯に入ると風邪をひかないとされます。本来は運を呼びこむ前の厄払いの禊(みそぎ)でした。昔は毎日入浴しませんから、一陽来復の為に身を清めるのも道理で、現代でも、新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。

菖蒲湯のように、昔は強い香りの元には邪気が起こらないと言われ、冬が旬の柚子は香りも強く身を清めるのに最適だったようです。また、寿命が長く病気に強い柚子の木にならって、柚子湯に入り無病息災を祈るようになったとも言われます。

実際、柚子湯には、血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温め風邪の予防に役立つとか、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果、芳香によるリラックス効果もあり、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。
冬至にゆず湯に入ると風邪をひかないとされます。本来は運を呼びこむ前の厄払いの禊(みそぎ)でした。昔は毎日入浴しませんから、一陽来復の為に身を清めるのも道理で、現代でも、新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。

菖蒲湯のように、昔は強い香りの元には邪気が起こらないと言われ、冬が旬の柚子は香りも強く身を清めるのに最適だったようです。また、寿命が長く病気に強い柚子の木にならって、柚子湯に入り無病息災を祈るようになったとも言われます。

実際、柚子湯には、血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温め風邪の予防に役立つとか、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果、芳香によるリラックス効果もあり、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。

冬至にゆず湯に入ると風邪をひかないとされます。本来は運を呼びこむ前の厄払いの禊(みそぎ)でした。昔は毎日入浴しませんから、一陽来復の為に身を清めるのも道理で、現代でも、新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。

菖蒲湯のように、昔は強い香りの元には邪気が起こらないと言われ、冬が旬の柚子は香りも強く身を清めるのに最適だったようです。また、寿命が長く病気に強い柚子の木にならって、柚子湯に入り無病息災を祈るようになったとも言われます。

実際、柚子湯には、血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温め風邪の予防に役立つとか、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果、芳香によるリラックス効果もあり、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。

○丸ごとお風呂へ……

柚子湯は柚子をお湯に浮かべるだけですが、1個や2個では香りを感じる程にはなりません。お庭に柚子のある方は、ふんだんに入れたほうが良いでしょう。
数が少ない場合や、皮膚の弱い方は、皮を何ヶ所か削いで丸ごと入れたり、浅く切り込みを入れてから丸ごと入れましょう。
柚子湯は柚子をお湯に浮かべるだけですが、1個や2個では香りを感じる程にはなりません。お庭に柚子のある方は、ふんだんに入れたほうが良いでしょう。
数が少ない場合や、皮膚の弱い方は、皮を何ヶ所か削いで丸ごと入れたり、浅く切り込みを入れてから丸ごと入れましょう。

柚子湯は柚子をお湯に浮かべるだけですが、1個や2個では香りを感じる程にはなりません。お庭に柚子のある方は、ふんだんに入れたほうが良いでしょう。
数が少ない場合や、皮膚の弱い方は、皮を何ヶ所か削いで丸ごと入れたり、浅く切り込みを入れてから丸ごと入れましょう。

○輪切りや半分にカットしてお風呂へ……

香りもよく、成分も出やすい方法ですが、果肉や種がお湯に浮いてくるため清潔感が損なわれ、お掃除も大変かもしれません。
その場合は、袋に入れてからお風呂へ……ガーゼで袋を作り、中身が出ないようにします。柚子が見えないのが残念ですが、香りや成分も出やすくお掃除も楽。
袋作りが面倒な場合は、洗濯ネットで代用したり、手拭いで包むだけでもOKです。
香りもよく、成分も出やすい方法ですが、果肉や種がお湯に浮いてくるため清潔感が損なわれ、お掃除も大変かもしれません。
その場合は、袋に入れてからお風呂へ……ガーゼで袋を作り、中身が出ないようにします。柚子が見えないのが残念ですが、香りや成分も出やすくお掃除も楽。
袋作りが面倒な場合は、洗濯ネットで代用したり、手拭いで包むだけでもOKです。

香りもよく、成分も出やすい方法ですが、果肉や種がお湯に浮いてくるため清潔感が損なわれ、お掃除も大変かもしれません。
その場合は、袋に入れてからお風呂へ……ガーゼで袋を作り、中身が出ないようにします。柚子が見えないのが残念ですが、香りや成分も出やすくお掃除も楽。
袋作りが面倒な場合は、洗濯ネットで代用したり、手拭いで包むだけでもOKです。

■日本の四季

京都のお寺には多くの名園があります。大半は極楽浄土を連想して作られており、極楽は西方にあるとされ、庭の水の流れも東から西へ流すことが定石のようです。
実相院の庭は、世阿弥の孫で有名な庭師、又四郎が作った池水回遊式の園です。この庭の水の流れは西から東で、極楽の方へは流れないと、当時、世間の批判が集中しましたが、又四郎は「実相院寺全体が浄土。浄土に西も東もあるわけがない」と涼しい顔。
その京都実相院の一番の見どころは客殿の「滝の間」から眺める景色です。
磨きあげられた板の間に庭の色が鏡のように映し出された四季折々の景色は見事。

底冷えのする冬の雪化床、霞たなびく春の床ざくら、風薫る初夏の床みどり、実りの秋の床もみじ、季節ごとに移り変わる日本の四季の得も言われぬ美しさを、来年も目にすることができますようにと祈りつつ、2018年、最後の平成の暮を締めくくらせて頂きます。

皆様、どうぞ、お健やかにお過ごし下さい。


京都のお寺には多くの名園があります。大半は極楽浄土を連想して作られており、極楽は西方にあるとされ、庭の水の流れも東から西へ流すことが定石のようです。
実相院の庭は、世阿弥の孫で有名な庭師、又四郎が作った池水回遊式の園です。この庭の水の流れは西から東で、極楽の方へは流れないと、当時、世間の批判が集中しましたが、又四郎は「実相院寺全体が浄土。浄土に西も東もあるわけがない」と涼しい顔。
その京都実相院の一番の見どころは客殿の「滝の間」から眺める景色です。
磨きあげられた板の間に庭の色が鏡のように映し出された四季折々の景色は見事。

底冷えのする冬の雪化床、霞たなびく春の床ざくら、風薫る初夏の床みどり、実りの秋の床もみじ、季節ごとに移り変わる日本の四季の得も言われぬ美しさを、来年も目にすることができますようにと祈りつつ、2018年、最後の平成の暮を締めくくらせて頂きます。

皆様、どうぞ、お健やかにお過ごし下さい。


京都のお寺には多くの名園があります。大半は極楽浄土を連想して作られており、極楽は西方にあるとされ、庭の水の流れも東から西へ流すことが定石のようです。
実相院の庭は、世阿弥の孫で有名な庭師、又四郎が作った池水回遊式の園です。この庭の水の流れは西から東で、極楽の方へは流れないと、当時、世間の批判が集中しましたが、又四郎は「実相院寺全体が浄土。浄土に西も東もあるわけがない」と涼しい顔。
その京都実相院の一番の見どころは客殿の「滝の間」から眺める景色です。
磨きあげられた板の間に庭の色が鏡のように映し出された四季折々の景色は見事。

底冷えのする冬の雪化床、霞たなびく春の床ざくら、風薫る初夏の床みどり、実りの秋の床もみじ、季節ごとに移り変わる日本の四季の得も言われぬ美しさを、来年も目にすることができますようにと祈りつつ、2018年、最後の平成の暮を締めくくらせて頂きます。

皆様、どうぞ、お健やかにお過ごし下さい。


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