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奥出雲の水「仁多水」

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水は全て繋ぐ

2019年3月

奈良では、「お水取り」が済むと春が来ると言われています。大きな松明(たいまつ)に火が灯され人々が火の粉を被る、天平勝宝4年(西暦752年)から連綿と続く、未だ謎が多いとされる行です。
奈良では、「お水取り」が済むと春が来ると言われています。大きな松明(たいまつ)に火が灯され人々が火の粉を被る、天平勝宝4年(西暦752年)から連綿と続く、未だ謎が多いとされる行です。

奈良では、「お水取り」が済むと春が来ると言われています。大きな松明(たいまつ)に火が灯され人々が火の粉を被る、天平勝宝4年(西暦752年)から連綿と続く、未だ謎が多いとされる行です。

【修二会(しゅにえ)】

東大寺二月堂の修二会は東大寺開山・良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始されて以来、平成31年(2019)には1268回を数えます。東大寺の長い歴史にあって二度、大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時も、修二会だけは「不退の行法」として一度も絶えることなく今日に至る迄引き継がれてきました。

修二会の正式名称「十一面悔過(けか)」は、我々が日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味しますが、古くは国家や万民の為の宗教行事を意味しました。天災や疫病や反乱は国家の病と考えられ、鎮護国家、天下泰安、五穀豊穣、人々の幸福を願う行事でした。

この法会は3月1日より2週間に渡って行われますが、元々、旧暦2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味で「修二会」と呼ばれるようになり、二月堂の名もこれに由来しています。
東大寺二月堂の修二会は東大寺開山・良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始されて以来、平成31年(2019)には1268回を数えます。東大寺の長い歴史にあって二度、大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時も、修二会だけは「不退の行法」として一度も絶えることなく今日に至る迄引き継がれてきました。

修二会の正式名称「十一面悔過(けか)」は、我々が日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味しますが、古くは国家や万民の為の宗教行事を意味しました。天災や疫病や反乱は国家の病と考えられ、鎮護国家、天下泰安、五穀豊穣、人々の幸福を願う行事でした。

この法会は3月1日より2週間に渡って行われますが、元々、旧暦2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味で「修二会」と呼ばれるようになり、二月堂の名もこれに由来しています。

東大寺二月堂の修二会は東大寺開山・良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始されて以来、平成31年(2019)には1268回を数えます。東大寺の長い歴史にあって二度、大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時も、修二会だけは「不退の行法」として一度も絶えることなく今日に至る迄引き継がれてきました。

修二会の正式名称「十一面悔過(けか)」は、我々が日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味しますが、古くは国家や万民の為の宗教行事を意味しました。天災や疫病や反乱は国家の病と考えられ、鎮護国家、天下泰安、五穀豊穣、人々の幸福を願う行事でした。

この法会は3月1日より2週間に渡って行われますが、元々、旧暦2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味で「修二会」と呼ばれるようになり、二月堂の名もこれに由来しています。

【悔過】

悔過作法は、二月堂で1日6回、行われる儀式で、別名「六時の行法」といいます。
6回の悔過作法の名称は「日中(にっちゅう)」「日没(にちもつ)」「初夜(しょや)」「半夜(はんや)」「後夜(ごや)」「晨朝(じんじょう)」で、各回それぞれ違った内容を唱え、所作にも決まりがあり、修二会の期間中、合計84回の悔過作法が営まれます。
悔過作法は、二月堂で1日6回、行われる儀式で、別名「六時の行法」といいます。
6回の悔過作法の名称は「日中(にっちゅう)」「日没(にちもつ)」「初夜(しょや)」「半夜(はんや)」「後夜(ごや)」「晨朝(じんじょう)」で、各回それぞれ違った内容を唱え、所作にも決まりがあり、修二会の期間中、合計84回の悔過作法が営まれます。

悔過作法は、二月堂で1日6回、行われる儀式で、別名「六時の行法」といいます。
6回の悔過作法の名称は「日中(にっちゅう)」「日没(にちもつ)」「初夜(しょや)」「半夜(はんや)」「後夜(ごや)」「晨朝(じんじょう)」で、各回それぞれ違った内容を唱え、所作にも決まりがあり、修二会の期間中、合計84回の悔過作法が営まれます。

【ご本尊】

二月堂には大観音(推定高170cm)と小観音(7寸・約21cm)、2体の観音様が安置され、お水取りの期間中、前7日は大観音を本尊として法要を行い、後7日は大観音の背面の小観音を本尊として前面に出して法要を行う流れは昔から変わらず、2体とも在籍している東大寺僧侶も実物を見たことがない絶対秘仏です。
二月堂には大観音(推定高170cm)と小観音(7寸・約21cm)、2体の観音様が安置され、お水取りの期間中、前7日は大観音を本尊として法要を行い、後7日は大観音の背面の小観音を本尊として前面に出して法要を行う流れは昔から変わらず、2体とも在籍している東大寺僧侶も実物を見たことがない絶対秘仏です。

二月堂には大観音(推定高170cm)と小観音(7寸・約21cm)、2体の観音様が安置され、お水取りの期間中、前7日は大観音を本尊として法要を行い、後7日は大観音の背面の小観音を本尊として前面に出して法要を行う流れは昔から変わらず、2体とも在籍している東大寺僧侶も実物を見たことがない絶対秘仏です。

【練行衆(れんぎょうしゅう)の潔斎】

12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる潔斎(自らを戒め身を清め言動にも気をつける生活)の前行が戒壇院の庫裡(別火坊)で始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二月堂において修二会の本行が勤められます。
初めて修二会に出る寺僧は「新入(しんいり)」と呼ばれ、2月15日から修二会における所作などを練習する目的で、先立って潔斎に入ります。
練行衆には役割があり、大導師がその年の練行衆を総括する長で、和上(わじょう)、咒師(しゅし)、堂司(どうつかさ)が中心となって修二会における重要な役割を分担し執り行います。これらの4人は修二会における重要な役を担う「四職(ししき)」と呼ばれ、四職以外を「平衆(ひらしゅう)」と呼びます。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる潔斎(自らを戒め身を清め言動にも気をつける生活)の前行が戒壇院の庫裡(別火坊)で始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二月堂において修二会の本行が勤められます。
初めて修二会に出る寺僧は「新入(しんいり)」と呼ばれ、2月15日から修二会における所作などを練習する目的で、先立って潔斎に入ります。
練行衆には役割があり、大導師がその年の練行衆を総括する長で、和上(わじょう)、咒師(しゅし)、堂司(どうつかさ)が中心となって修二会における重要な役割を分担し執り行います。これらの4人は修二会における重要な役を担う「四職(ししき)」と呼ばれ、四職以外を「平衆(ひらしゅう)」と呼びます。

12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる潔斎(自らを戒め身を清め言動にも気をつける生活)の前行が戒壇院の庫裡(別火坊)で始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二月堂において修二会の本行が勤められます。
初めて修二会に出る寺僧は「新入(しんいり)」と呼ばれ、2月15日から修二会における所作などを練習する目的で、先立って潔斎に入ります。
練行衆には役割があり、大導師がその年の練行衆を総括する長で、和上(わじょう)、咒師(しゅし)、堂司(どうつかさ)が中心となって修二会における重要な役割を分担し執り行います。これらの4人は修二会における重要な役を担う「四職(ししき)」と呼ばれ、四職以外を「平衆(ひらしゅう)」と呼びます。

【お水取り】

修二会のクライマックス「お水取り」の行法は、3月13日(元陰暦2月13日)未明、堂の前にある閼伽井屋(あかいや)にある「若狭井」の井戸から神聖な水「お香水(こうずい)」を汲み上げ本堂に納める儀式のことで、その水を飲むと病気が治るといわれます。
この行を勤める練行衆の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火が灯される為「修二会」は「お水取り」「お松明」とも呼ばれるようになりました。
「閼伽井屋」の中に入れるのは、練行衆の咒師(しゅし)と呼ばれる役職者と、汲み上げの補助をする堂童子だけのようです。
庄駈士(しょうのくし)は、汲み上げた「悶伽桶」を運び、水取衆に警護されながら堂内の須弥壇(しゅみだん/本尊を安置している場所)の下(地下)にあるお香水が入っている壺へ新たなお香水を注ぎ入れ、一杯になったお香水は、ご本尊である大小2尊(2つ)の十一面観音様に1年間お供えするために使用されます。この間、明かりがない悶伽井屋内で、真暗な中、執り行われている儀式は秘儀で、神秘のベールに包まれています。
修二会のクライマックス「お水取り」の行法は、3月13日(元陰暦2月13日)未明、堂の前にある閼伽井屋(あかいや)にある「若狭井」の井戸から神聖な水「お香水(こうずい)」を汲み上げ本堂に納める儀式のことで、その水を飲むと病気が治るといわれます。
この行を勤める練行衆の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火が灯される為「修二会」は「お水取り」「お松明」とも呼ばれるようになりました。
「閼伽井屋」の中に入れるのは、練行衆の咒師(しゅし)と呼ばれる役職者と、汲み上げの補助をする堂童子だけのようです。
庄駈士(しょうのくし)は、汲み上げた「悶伽桶」を運び、水取衆に警護されながら堂内の須弥壇(しゅみだん/本尊を安置している場所)の下(地下)にあるお香水が入っている壺へ新たなお香水を注ぎ入れ、一杯になったお香水は、ご本尊である大小2尊(2つ)の十一面観音様に1年間お供えするために使用されます。この間、明かりがない悶伽井屋内で、真暗な中、執り行われている儀式は秘儀で、神秘のベールに包まれています。

修二会のクライマックス「お水取り」の行法は、3月13日(元陰暦2月13日)未明、堂の前にある閼伽井屋(あかいや)にある「若狭井」の井戸から神聖な水「お香水(こうずい)」を汲み上げ本堂に納める儀式のことで、その水を飲むと病気が治るといわれます。
この行を勤める練行衆の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火が灯される為「修二会」は「お水取り」「お松明」とも呼ばれるようになりました。
「閼伽井屋」の中に入れるのは、練行衆の咒師(しゅし)と呼ばれる役職者と、汲み上げの補助をする堂童子だけのようです。
庄駈士(しょうのくし)は、汲み上げた「悶伽桶」を運び、水取衆に警護されながら堂内の須弥壇(しゅみだん/本尊を安置している場所)の下(地下)にあるお香水が入っている壺へ新たなお香水を注ぎ入れ、一杯になったお香水は、ご本尊である大小2尊(2つ)の十一面観音様に1年間お供えするために使用されます。この間、明かりがない悶伽井屋内で、真暗な中、執り行われている儀式は秘儀で、神秘のベールに包まれています。

【2種類のお香水】

「お水取り」の儀式で井戸から汲み上げられたお水は「根本香水」「次第香水」2種類に分かれます。
「根本香水」は、天平勝宝年(奈良時代)から継ぎ足されてきた「甕」に毎年「お香水」が注がれます。
「次第香水」を入れる専用の甕は、お水取りの行事を迎える日迄に、「甕」を空にして掃除され、新しいお香水が入れられるのを待ちます。この時、甕から汲み出された水は「二月堂の湯屋」へ注がれ、お水取りの際、参拝者へも授与されます。また、新しい次第香水は、二月堂の「走りの行」の後、一般の参拝者に2、3滴ずつ授与されたり、修二会が終わった後の18日二月堂「寺役法要」にて汲み出され、参拝者へ授与されます。
※お香水は、御本尊の御霊がお宿りしている「霊水」なので腐ることはないそうです。
※どちらの甕も須弥壇の下の石敷きに埋め込まれています。
「お水取り」の儀式で井戸から汲み上げられたお水は「根本香水」「次第香水」2種類に分かれます。
「根本香水」は、天平勝宝年(奈良時代)から継ぎ足されてきた「甕」に毎年「お香水」が注がれます。
「次第香水」を入れる専用の甕は、お水取りの行事を迎える日迄に、「甕」を空にして掃除され、新しいお香水が入れられるのを待ちます。この時、甕から汲み出された水は「二月堂の湯屋」へ注がれ、お水取りの際、参拝者へも授与されます。また、新しい次第香水は、二月堂の「走りの行」の後、一般の参拝者に2、3滴ずつ授与されたり、修二会が終わった後の18日二月堂「寺役法要」にて汲み出され、参拝者へ授与されます。
※お香水は、御本尊の御霊がお宿りしている「霊水」なので腐ることはないそうです。
※どちらの甕も須弥壇の下の石敷きに埋め込まれています。

「お水取り」の儀式で井戸から汲み上げられたお水は「根本香水」「次第香水」2種類に分かれます。
「根本香水」は、天平勝宝年(奈良時代)から継ぎ足されてきた「甕」に毎年「お香水」が注がれます。
「次第香水」を入れる専用の甕は、お水取りの行事を迎える日迄に、「甕」を空にして掃除され、新しいお香水が入れられるのを待ちます。この時、甕から汲み出された水は「二月堂の湯屋」へ注がれ、お水取りの際、参拝者へも授与されます。また、新しい次第香水は、二月堂の「走りの行」の後、一般の参拝者に2、3滴ずつ授与されたり、修二会が終わった後の18日二月堂「寺役法要」にて汲み出され、参拝者へ授与されます。
※お香水は、御本尊の御霊がお宿りしている「霊水」なので腐ることはないそうです。
※どちらの甕も須弥壇の下の石敷きに埋め込まれています。

【閼伽井屋】

閼伽井屋は、二月堂の舞台を見上げる場所に佇む小さな建物で、現在の建物は鎌倉時代初頭13世紀前半建立と推定されます。「榊」や「しめ縄」で結界が張られている神聖な空間であり、一般人の立入りは禁じられ、お水取りの儀式や若狭井を垣間見ることもできません。
※閼伽水とは仏様に供える聖水のことで、閼伽はサンスクリット語「価値のある」という意味の「アルガ」を音写した言葉です。
閼伽井屋は、二月堂の舞台を見上げる場所に佇む小さな建物で、現在の建物は鎌倉時代初頭13世紀前半建立と推定されます。「榊」や「しめ縄」で結界が張られている神聖な空間であり、一般人の立入りは禁じられ、お水取りの儀式や若狭井を垣間見ることもできません。
※閼伽水とは仏様に供える聖水のことで、閼伽はサンスクリット語「価値のある」という意味の「アルガ」を音写した言葉です。

閼伽井屋は、二月堂の舞台を見上げる場所に佇む小さな建物で、現在の建物は鎌倉時代初頭13世紀前半建立と推定されます。「榊」や「しめ縄」で結界が張られている神聖な空間であり、一般人の立入りは禁じられ、お水取りの儀式や若狭井を垣間見ることもできません。
※閼伽水とは仏様に供える聖水のことで、閼伽はサンスクリット語「価値のある」という意味の「アルガ」を音写した言葉です。

【若狭井】

神聖な「お水取り」は若狭国(福井県)にルーツを持つ儀式で、閼伽井屋の「若狭井」は、若狭を流れる一級河川・「遠敷川(おにゅうがわ)」の上流に位置する小浜市「鵜の瀬(うのせ)」に通じていると言われる井戸です。

実忠和尚が日本中の神々を二月堂に集めたところ、若狭国に本拠を持っていた神様「遠敷明神」が魚獲りをしていて神が集まる予定時刻に遅れた無礼を詫びる為、お詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水(あかみず)を若狭から送ると約束しました。すると二月堂の下の地面が割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出し、そこから水が湧き出たという逸話に因み、「閼伽井屋」の屋根には「鵜の鬼瓦」が飾られています。

現在でも3月2日に福井県神宮寺の境内で「お水送り」の儀式が行われ、10日ほどかけ「若狭井」に神聖な水が到着し、そのお水を「お水取り」の儀式で掬い上げるという儀式が、連綿と続けられています。
神聖な「お水取り」は若狭国(福井県)にルーツを持つ儀式で、閼伽井屋の「若狭井」は、若狭を流れる一級河川・「遠敷川(おにゅうがわ)」の上流に位置する小浜市「鵜の瀬(うのせ)」に通じていると言われる井戸です。

実忠和尚が日本中の神々を二月堂に集めたところ、若狭国に本拠を持っていた神様「遠敷明神」が魚獲りをしていて神が集まる予定時刻に遅れた無礼を詫びる為、お詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水(あかみず)を若狭から送ると約束しました。すると二月堂の下の地面が割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出し、そこから水が湧き出たという逸話に因み、「閼伽井屋」の屋根には「鵜の鬼瓦」が飾られています。

現在でも3月2日に福井県神宮寺の境内で「お水送り」の儀式が行われ、10日ほどかけ「若狭井」に神聖な水が到着し、そのお水を「お水取り」の儀式で掬い上げるという儀式が、連綿と続けられています。

神聖な「お水取り」は若狭国(福井県)にルーツを持つ儀式で、閼伽井屋の「若狭井」は、若狭を流れる一級河川・「遠敷川(おにゅうがわ)」の上流に位置する小浜市「鵜の瀬(うのせ)」に通じていると言われる井戸です。

実忠和尚が日本中の神々を二月堂に集めたところ、若狭国に本拠を持っていた神様「遠敷明神」が魚獲りをしていて神が集まる予定時刻に遅れた無礼を詫びる為、お詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水(あかみず)を若狭から送ると約束しました。すると二月堂の下の地面が割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出し、そこから水が湧き出たという逸話に因み、「閼伽井屋」の屋根には「鵜の鬼瓦」が飾られています。

現在でも3月2日に福井県神宮寺の境内で「お水送り」の儀式が行われ、10日ほどかけ「若狭井」に神聖な水が到着し、そのお水を「お水取り」の儀式で掬い上げるという儀式が、連綿と続けられています。

【若狭からのお水送り】

奈良東大寺二月堂へ「お水送り」を行うのが「若狭神宮寺」(小浜市北部)という寺です。東大寺二月堂の「お水取り」に先立つ3月2日、神宮寺では境内にある閼伽井屋の中にある井戸から汲んだ水を、寺から1、5キロほど離れた遠敷(おにゅう)川にある鵜の瀬へ注ぐ「お水送り」が行われ、注がれた水は地下水路を通って東大寺に届くといわれています。
奈良東大寺二月堂へ「お水送り」を行うのが「若狭神宮寺」(小浜市北部)という寺です。東大寺二月堂の「お水取り」に先立つ3月2日、神宮寺では境内にある閼伽井屋の中にある井戸から汲んだ水を、寺から1、5キロほど離れた遠敷(おにゅう)川にある鵜の瀬へ注ぐ「お水送り」が行われ、注がれた水は地下水路を通って東大寺に届くといわれています。

奈良東大寺二月堂へ「お水送り」を行うのが「若狭神宮寺」(小浜市北部)という寺です。東大寺二月堂の「お水取り」に先立つ3月2日、神宮寺では境内にある閼伽井屋の中にある井戸から汲んだ水を、寺から1、5キロほど離れた遠敷(おにゅう)川にある鵜の瀬へ注ぐ「お水送り」が行われ、注がれた水は地下水路を通って東大寺に届くといわれています。

神宮寺の閼伽井屋の井戸と「お水送り」が行われる「鵜の瀬」。
神宮寺の閼伽井屋の井戸と「お水送り」が行われる「鵜の瀬」。

神宮寺の閼伽井屋の井戸と「お水送り」が行われる「鵜の瀬」。

【修二会の見所・お松明】

期間中、毎日あげられる「火の行」とも言われるお松明は、本来11名の練行衆が二月堂に夜、上堂する為の道明かりとして、先導する童子が持つ物なので、通常のお松明(重さ約40kg、長さ約6m〜8m)は1本ずつ通って行きますが、最終日のお松明は10本の松明が10分間に連続して上がり横並びになる光景が見られます。(「処世界」という役は、既に上堂しているので10本の松明があがる)
お水取り(翌朝0時から)前日の12日は、童子が重さ75kg、直径70cm、高さ8mの大きな籠松明(かごたいまつ)を持って舞台を走るが、11名全ての練行衆が上堂するので、11本の「籠松明」があげられることになる。
いずれも、松明の火の粉を浴びることで、健康や幸福が訪れると言われ、最近では「無病息災」のご利益があると「お松明」の燃えカスを持ち帰る人が後を立たないようです。
期間中、毎日あげられる「火の行」とも言われるお松明は、本来11名の練行衆が二月堂に夜、上堂する為の道明かりとして、先導する童子が持つ物なので、通常のお松明(重さ約40kg、長さ約6m〜8m)は1本ずつ通って行きますが、最終日のお松明は10本の松明が10分間に連続して上がり横並びになる光景が見られます。(「処世界」という役は、既に上堂しているので10本の松明があがる)
お水取り(翌朝0時から)前日の12日は、童子が重さ75kg、直径70cm、高さ8mの大きな籠松明(かごたいまつ)を持って舞台を走るが、11名全ての練行衆が上堂するので、11本の「籠松明」があげられることになる。
いずれも、松明の火の粉を浴びることで、健康や幸福が訪れると言われ、最近では「無病息災」のご利益があると「お松明」の燃えカスを持ち帰る人が後を立たないようです。

期間中、毎日あげられる「火の行」とも言われるお松明は、本来11名の練行衆が二月堂に夜、上堂する為の道明かりとして、先導する童子が持つ物なので、通常のお松明(重さ約40kg、長さ約6m〜8m)は1本ずつ通って行きますが、最終日のお松明は10本の松明が10分間に連続して上がり横並びになる光景が見られます。(「処世界」という役は、既に上堂しているので10本の松明があがる)
お水取り(翌朝0時から)前日の12日は、童子が重さ75kg、直径70cm、高さ8mの大きな籠松明(かごたいまつ)を持って舞台を走るが、11名全ての練行衆が上堂するので、11本の「籠松明」があげられることになる。
いずれも、松明の火の粉を浴びることで、健康や幸福が訪れると言われ、最近では「無病息災」のご利益があると「お松明」の燃えカスを持ち帰る人が後を立たないようです。

【謎めいた法要】

修二会で有名な行事が「お水取り」と「お松明」ですが、準備期間を含めれば2カ月以上にも及ぶ東大寺を代表するこの法要には、深い宗教的な内容が秘められているようです。
神々の降臨を促す結界が張られた中で、約2週間、一切の俗界の穢れを断ち身体の内側まで清める慎ましい生活に入る入念な準備は、人間界に伝えられた兜率天の行法を行う為であり、だからこそ、極めて神聖な不退の行とされてきたのです。

夜中もえんえんと続く熱気を帯びた行法に参列した人は、時空を超えた奇妙な感覚、自分が1個の生命となったような感動があり、ずっと見ていたい、といわれるそうです。 
人間がこの世に生まれる以前の深い記憶が呼び起こされるような、不思議な春の夜を体験できるのかもしれません。
修二会で有名な行事が「お水取り」と「お松明」ですが、準備期間を含めれば2カ月以上にも及ぶ東大寺を代表するこの法要には、深い宗教的な内容が秘められているようです。
神々の降臨を促す結界が張られた中で、約2週間、一切の俗界の穢れを断ち身体の内側まで清める慎ましい生活に入る入念な準備は、人間界に伝えられた兜率天の行法を行う為であり、だからこそ、極めて神聖な不退の行とされてきたのです。

夜中もえんえんと続く熱気を帯びた行法に参列した人は、時空を超えた奇妙な感覚、自分が1個の生命となったような感動があり、ずっと見ていたい、といわれるそうです。 
人間がこの世に生まれる以前の深い記憶が呼び起こされるような、不思議な春の夜を体験できるのかもしれません。

修二会で有名な行事が「お水取り」と「お松明」ですが、準備期間を含めれば2カ月以上にも及ぶ東大寺を代表するこの法要には、深い宗教的な内容が秘められているようです。
神々の降臨を促す結界が張られた中で、約2週間、一切の俗界の穢れを断ち身体の内側まで清める慎ましい生活に入る入念な準備は、人間界に伝えられた兜率天の行法を行う為であり、だからこそ、極めて神聖な不退の行とされてきたのです。

夜中もえんえんと続く熱気を帯びた行法に参列した人は、時空を超えた奇妙な感覚、自分が1個の生命となったような感動があり、ずっと見ていたい、といわれるそうです。 
人間がこの世に生まれる以前の深い記憶が呼び起こされるような、不思議な春の夜を体験できるのかもしれません。

【達陀(だったん)】

「お水取り」には不可思議なプログラムが多く、その一つが「達陀」と呼ばれる法会(ほうえ)で、お水取りの儀式前後の12、13、14日の深夜にのみ行なわれます。
達陀では練行衆8人が選抜され、火天(かてん)・水天(すいてん)・芥子(けし)・楊枝(ようじ)・太刀(だいとう)・鈴(すず)・錫杖(しゃくじょう)、法螺(ほら)という八天に扮し、いずれも頭に達陀帽という兜のような金襴地(きんらんじ)の帽子を被って登場。
八天は交互に現れ、踊るように火の粉、香水、ハゼ(もち米を炒って爆(は)ぜさせたもの)を撒き散らし、楊枝を飛ばし、鈴・錫杖を打ち鳴らし、太刀を振りかざし、法螺貝を吹いて走り去り、八天それぞれが自分たちの呪物で堂内を清める所作をします。
最大の見どころは、火天と水天(火は煩悩を焼き尽くし、水は煩悩を消す)が向かいあって跳躍するところ。火天は修二会最大の燃えさかる松明を抱え跳ねながら須弥壇の周りをぐるぐる回り何度も礼堂(らいどう)へ向かって松明を突き出す所作を繰り返し、それに合せて水天も飛び跳ねながら洒水器(清めの水)で加持し、その後、咒師の「はった(発咤)」という号令と共に、松明は床に叩きつけられ火の粉が飛び散り、二月堂が炎に包まれるように見える様は最も勇壮で、謎めいた修二会最大の見どころといえます。
「お水取り」には不可思議なプログラムが多く、その一つが「達陀」と呼ばれる法会(ほうえ)で、お水取りの儀式前後の12、13、14日の深夜にのみ行なわれます。
達陀では練行衆8人が選抜され、火天(かてん)・水天(すいてん)・芥子(けし)・楊枝(ようじ)・太刀(だいとう)・鈴(すず)・錫杖(しゃくじょう)、法螺(ほら)という八天に扮し、いずれも頭に達陀帽という兜のような金襴地(きんらんじ)の帽子を被って登場。
八天は交互に現れ、踊るように火の粉、香水、ハゼ(もち米を炒って爆(は)ぜさせたもの)を撒き散らし、楊枝を飛ばし、鈴・錫杖を打ち鳴らし、太刀を振りかざし、法螺貝を吹いて走り去り、八天それぞれが自分たちの呪物で堂内を清める所作をします。
最大の見どころは、火天と水天(火は煩悩を焼き尽くし、水は煩悩を消す)が向かいあって跳躍するところ。火天は修二会最大の燃えさかる松明を抱え跳ねながら須弥壇の周りをぐるぐる回り何度も礼堂(らいどう)へ向かって松明を突き出す所作を繰り返し、それに合せて水天も飛び跳ねながら洒水器(清めの水)で加持し、その後、咒師の「はった(発咤)」という号令と共に、松明は床に叩きつけられ火の粉が飛び散り、二月堂が炎に包まれるように見える様は最も勇壮で、謎めいた修二会最大の見どころといえます。

「お水取り」には不可思議なプログラムが多く、その一つが「達陀」と呼ばれる法会(ほうえ)で、お水取りの儀式前後の12、13、14日の深夜にのみ行なわれます。
達陀では練行衆8人が選抜され、火天(かてん)・水天(すいてん)・芥子(けし)・楊枝(ようじ)・太刀(だいとう)・鈴(すず)・錫杖(しゃくじょう)、法螺(ほら)という八天に扮し、いずれも頭に達陀帽という兜のような金襴地(きんらんじ)の帽子を被って登場。
八天は交互に現れ、踊るように火の粉、香水、ハゼ(もち米を炒って爆(は)ぜさせたもの)を撒き散らし、楊枝を飛ばし、鈴・錫杖を打ち鳴らし、太刀を振りかざし、法螺貝を吹いて走り去り、八天それぞれが自分たちの呪物で堂内を清める所作をします。
最大の見どころは、火天と水天(火は煩悩を焼き尽くし、水は煩悩を消す)が向かいあって跳躍するところ。火天は修二会最大の燃えさかる松明を抱え跳ねながら須弥壇の周りをぐるぐる回り何度も礼堂(らいどう)へ向かって松明を突き出す所作を繰り返し、それに合せて水天も飛び跳ねながら洒水器(清めの水)で加持し、その後、咒師の「はった(発咤)」という号令と共に、松明は床に叩きつけられ火の粉が飛び散り、二月堂が炎に包まれるように見える様は最も勇壮で、謎めいた修二会最大の見どころといえます。

【達陀の由来】

実忠和尚の前に、兜率天から舞うように降臨してきた八天の姿を表現したものが「達陀」であると云われています。水天の如く礼堂にお香水を蒔き、火天の如く火粉を蒔くのは、八天の加持を表現する為で、咒師が発する発咤は、サンスクリット語で「物事の終わり」を意味し、「だったん」は「パーリ語」の「ダッタ(焼き尽くす・滅する)」が語源です。
実忠和尚の前に、兜率天から舞うように降臨してきた八天の姿を表現したものが「達陀」であると云われています。水天の如く礼堂にお香水を蒔き、火天の如く火粉を蒔くのは、八天の加持を表現する為で、咒師が発する発咤は、サンスクリット語で「物事の終わり」を意味し、「だったん」は「パーリ語」の「ダッタ(焼き尽くす・滅する)」が語源です。

実忠和尚の前に、兜率天から舞うように降臨してきた八天の姿を表現したものが「達陀」であると云われています。水天の如く礼堂にお香水を蒔き、火天の如く火粉を蒔くのは、八天の加持を表現する為で、咒師が発する発咤は、サンスクリット語で「物事の終わり」を意味し、「だったん」は「パーリ語」の「ダッタ(焼き尽くす・滅する)」が語源です。

【牛玉札と陀羅尼札】

「牛玉札(ごおうふだ)」という見どころもあります。達陀の最中、練行衆が「香水」と「牛黄(ごおう/=漢方薬)」を混ぜ合わせて墨汁を作り、この墨を用いて作成される「陀羅尼と牛玉札」は、行が終わった後、皇室に献上されます。
牛の胆石で命を長らえる不老不死の妙薬として珍重された牛黄をすりおろして混ぜて作った墨で刷られた牛玉札を飲むと病が治るといわれてきました。
耳を澄ませば札をする小気味よい音が聞こえるそうです。

※お札は2種類あり、もう一つは、尊勝陀羅尼を梵字で刷り込んだ陀羅尼(だらに)札です。
「牛玉札(ごおうふだ)」という見どころもあります。達陀の最中、練行衆が「香水」と「牛黄(ごおう/=漢方薬)」を混ぜ合わせて墨汁を作り、この墨を用いて作成される「陀羅尼と牛玉札」は、行が終わった後、皇室に献上されます。
牛の胆石で命を長らえる不老不死の妙薬として珍重された牛黄をすりおろして混ぜて作った墨で刷られた牛玉札を飲むと病が治るといわれてきました。
耳を澄ませば札をする小気味よい音が聞こえるそうです。

※お札は2種類あり、もう一つは、尊勝陀羅尼を梵字で刷り込んだ陀羅尼(だらに)札です。

「牛玉札(ごおうふだ)」という見どころもあります。達陀の最中、練行衆が「香水」と「牛黄(ごおう/=漢方薬)」を混ぜ合わせて墨汁を作り、この墨を用いて作成される「陀羅尼と牛玉札」は、行が終わった後、皇室に献上されます。
牛の胆石で命を長らえる不老不死の妙薬として珍重された牛黄をすりおろして混ぜて作った墨で刷られた牛玉札を飲むと病が治るといわれてきました。
耳を澄ませば札をする小気味よい音が聞こえるそうです。

※お札は2種類あり、もう一つは、尊勝陀羅尼を梵字で刷り込んだ陀羅尼(だらに)札です。

【走りの行法】

もう一つ不思議な行法が、5日~7日、12日~14日に行なわれる、足袋裸足のまま堂内を走る「走りの行法」というもの。
「お水取り」を担当する練行衆は、普段は差懸(さしかけ)という木沓(きぐつ)を履いて一日に何度も堂内に安置された観音菩薩の周りを歩き回りながら経を唱える一方、「走りの行法」では、内陣を音もなくぐるぐる駆け廻る行道の一方法です。

元々「お水取り」の行は天上世界の仏事をこの世で再現したもので、実忠が京都・笠置寺の龍穴の奥に入っていくと、兜率天の「常念観音院」に通じており、そこで天人たちが行っていた十一面悔過を教わりたいと願うものの、天上界の1日は地上界の400年に相当するので無理といわれ、少しでも時間を縮めるために走りながら行法を行うとしたのが、走りの行法の起源とされます。
もう一つ不思議な行法が、5日~7日、12日~14日に行なわれる、足袋裸足のまま堂内を走る「走りの行法」というもの。
「お水取り」を担当する練行衆は、普段は差懸(さしかけ)という木沓(きぐつ)を履いて一日に何度も堂内に安置された観音菩薩の周りを歩き回りながら経を唱える一方、「走りの行法」では、内陣を音もなくぐるぐる駆け廻る行道の一方法です。

元々「お水取り」の行は天上世界の仏事をこの世で再現したもので、実忠が京都・笠置寺の龍穴の奥に入っていくと、兜率天の「常念観音院」に通じており、そこで天人たちが行っていた十一面悔過を教わりたいと願うものの、天上界の1日は地上界の400年に相当するので無理といわれ、少しでも時間を縮めるために走りながら行法を行うとしたのが、走りの行法の起源とされます。

もう一つ不思議な行法が、5日~7日、12日~14日に行なわれる、足袋裸足のまま堂内を走る「走りの行法」というもの。
「お水取り」を担当する練行衆は、普段は差懸(さしかけ)という木沓(きぐつ)を履いて一日に何度も堂内に安置された観音菩薩の周りを歩き回りながら経を唱える一方、「走りの行法」では、内陣を音もなくぐるぐる駆け廻る行道の一方法です。

元々「お水取り」の行は天上世界の仏事をこの世で再現したもので、実忠が京都・笠置寺の龍穴の奥に入っていくと、兜率天の「常念観音院」に通じており、そこで天人たちが行っていた十一面悔過を教わりたいと願うものの、天上界の1日は地上界の400年に相当するので無理といわれ、少しでも時間を縮めるために走りながら行法を行うとしたのが、走りの行法の起源とされます。

【修二会の始まり―二月堂縁起より】

「天平勝宝三年辛卯十月、実忠和尚(じっちゅうかしょう)、笠置寺の龍穴より入て、北へ一里ばかりを過ぐるに、都率(とそつ)の内院なりけり。四十九院、摩尼宝殿を巡礼す。其内、諸天衆(てんじゅう)集て、十一面悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)する所あり。常念観音院と云う。聖衆の行法を拝して、此の行(を人中に摸して行うべき由(よし)を伺う。聖衆告て曰く。此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然ば行法の軌則(きそく)、巍々(ぎぎ)として千返(せんべん)の行道懈(おこた)らず。人中の短促(たんそく)の所にては更に修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、いかでか人間すべからく摸すべきと云う。和尚重て申(もうさ)く。勤行の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。誠を致て勧請(かんじょう)せば、生身何ぞ成給はざらんとて、是を伝えて帰りぬ。」

行法の伝授を請う実忠の懇願にもかかわらず、都率の天衆は、「この天の一昼夜は人間界の四百年にも及び、行法のきまりは厳しく、日々千返の行道を怠ることなく勤めなくてはならない。時間に限りのある人間の世のこと、到底この行法を修めることはかなわぬ。」と実忠を諭す。 「ましてや、生身の観音を本尊となさねばならず、人間の手によってこの行法を全うすることはかなわない。」と。
しかし実忠は諦めなかった。「人間界の時が天界の時に及ばぬというのであれば、勤行は調子を速め、行道の回数は走ってでも数を満たそう。生身の観音菩薩とて誠を尽くして請い願えば、たまわらないことがあろうか」かくして行法は伝えられた。

次に『二月堂縁起』は生身の観音の勧請(かんじょう)の段となる。
「実忠和尚、摂津国難波津に行て、補陀洛山(ふだらくせん)にむかひて香花をそなへて海にうかべ懇請(こんぜい)をぬきいでて祈請勧請す。かの閼伽の器はるかに南をさして行きてまた帰り来る。かくする事百日ばかりを経て、つゐに生身の十一面観音まのあたり補陀洛山より閼伽の器に乗りて来給へり。和尚、是を当寺の羂索院に安置し奉る。今は二月堂という」
翌天平勝宝四年二月、実忠は生身の観音の御前にて二七ヶ日夜六時の行法を修し、以後大同四年にいたるまで六十回になんなんとする参籠を数えたと縁起は述べている。
天平勝宝四年といえば四月に大仏開眼供養会が挙行された年で、奇しくも我が国に仏教が伝わって二百年目とされる年であった。
「天平勝宝三年辛卯十月、実忠和尚(じっちゅうかしょう)、笠置寺の龍穴より入て、北へ一里ばかりを過ぐるに、都率(とそつ)の内院なりけり。四十九院、摩尼宝殿を巡礼す。其内、諸天衆(てんじゅう)集て、十一面悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)する所あり。常念観音院と云う。聖衆の行法を拝して、此の行(を人中に摸して行うべき由(よし)を伺う。聖衆告て曰く。此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然ば行法の軌則(きそく)、巍々(ぎぎ)として千返(せんべん)の行道懈(おこた)らず。人中の短促(たんそく)の所にては更に修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、いかでか人間すべからく摸すべきと云う。和尚重て申(もうさ)く。勤行の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。誠を致て勧請(かんじょう)せば、生身何ぞ成給はざらんとて、是を伝えて帰りぬ。」

行法の伝授を請う実忠の懇願にもかかわらず、都率の天衆は、「この天の一昼夜は人間界の四百年にも及び、行法のきまりは厳しく、日々千返の行道を怠ることなく勤めなくてはならない。時間に限りのある人間の世のこと、到底この行法を修めることはかなわぬ。」と実忠を諭す。 「ましてや、生身の観音を本尊となさねばならず、人間の手によってこの行法を全うすることはかなわない。」と。
しかし実忠は諦めなかった。「人間界の時が天界の時に及ばぬというのであれば、勤行は調子を速め、行道の回数は走ってでも数を満たそう。生身の観音菩薩とて誠を尽くして請い願えば、たまわらないことがあろうか」かくして行法は伝えられた。

次に『二月堂縁起』は生身の観音の勧請(かんじょう)の段となる。
「実忠和尚、摂津国難波津に行て、補陀洛山(ふだらくせん)にむかひて香花をそなへて海にうかべ懇請(こんぜい)をぬきいでて祈請勧請す。かの閼伽の器はるかに南をさして行きてまた帰り来る。かくする事百日ばかりを経て、つゐに生身の十一面観音まのあたり補陀洛山より閼伽の器に乗りて来給へり。和尚、是を当寺の羂索院に安置し奉る。今は二月堂という」
翌天平勝宝四年二月、実忠は生身の観音の御前にて二七ヶ日夜六時の行法を修し、以後大同四年にいたるまで六十回になんなんとする参籠を数えたと縁起は述べている。
天平勝宝四年といえば四月に大仏開眼供養会が挙行された年で、奇しくも我が国に仏教が伝わって二百年目とされる年であった。

「天平勝宝三年辛卯十月、実忠和尚(じっちゅうかしょう)、笠置寺の龍穴より入て、北へ一里ばかりを過ぐるに、都率(とそつ)の内院なりけり。四十九院、摩尼宝殿を巡礼す。其内、諸天衆(てんじゅう)集て、十一面悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)する所あり。常念観音院と云う。聖衆の行法を拝して、此の行(を人中に摸して行うべき由(よし)を伺う。聖衆告て曰く。此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然ば行法の軌則(きそく)、巍々(ぎぎ)として千返(せんべん)の行道懈(おこた)らず。人中の短促(たんそく)の所にては更に修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、いかでか人間すべからく摸すべきと云う。和尚重て申(もうさ)く。勤行の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。誠を致て勧請(かんじょう)せば、生身何ぞ成給はざらんとて、是を伝えて帰りぬ。」

行法の伝授を請う実忠の懇願にもかかわらず、都率の天衆は、「この天の一昼夜は人間界の四百年にも及び、行法のきまりは厳しく、日々千返の行道を怠ることなく勤めなくてはならない。時間に限りのある人間の世のこと、到底この行法を修めることはかなわぬ。」と実忠を諭す。 「ましてや、生身の観音を本尊となさねばならず、人間の手によってこの行法を全うすることはかなわない。」と。
しかし実忠は諦めなかった。「人間界の時が天界の時に及ばぬというのであれば、勤行は調子を速め、行道の回数は走ってでも数を満たそう。生身の観音菩薩とて誠を尽くして請い願えば、たまわらないことがあろうか」かくして行法は伝えられた。

次に『二月堂縁起』は生身の観音の勧請(かんじょう)の段となる。
「実忠和尚、摂津国難波津に行て、補陀洛山(ふだらくせん)にむかひて香花をそなへて海にうかべ懇請(こんぜい)をぬきいでて祈請勧請す。かの閼伽の器はるかに南をさして行きてまた帰り来る。かくする事百日ばかりを経て、つゐに生身の十一面観音まのあたり補陀洛山より閼伽の器に乗りて来給へり。和尚、是を当寺の羂索院に安置し奉る。今は二月堂という」
翌天平勝宝四年二月、実忠は生身の観音の御前にて二七ヶ日夜六時の行法を修し、以後大同四年にいたるまで六十回になんなんとする参籠を数えたと縁起は述べている。
天平勝宝四年といえば四月に大仏開眼供養会が挙行された年で、奇しくも我が国に仏教が伝わって二百年目とされる年であった。

【過去帳の読み上げ】

聖武天皇以来、1694年(元禄7年/江戸時代)まで東大寺に縁があった貴人、僧侶、施主らの名を読み上げる「過去帳の読み上げ」が行われますが、その中に、「青衣女人(しょうえのにょにん)」という幽霊の名が入っています。
東大寺に伝わる古文書の1つ「二月堂縁起」によると、承元年代(鎌倉時代)2月5日の夜、僧侶・集慶(じゅうけい)が修二会で過去帳を読み上げていた際、「青い衣を羽織った女の幽霊」が現れ、「私の名前がなぜ過去帳にないのだ」と告げたそうです。その声の恐ろしさに僧侶たちは腰を抜かしてしまいますが、集慶は動じず、女人の名を読む代わりに「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と過去帳に付け加える形で読み上げると、女はスっと消え、それ以後、二度と姿を見せることがなかったそうです。このような経緯から、現在でも「青衣の女人」は、少し寂しいような調子で読み上げられ、聴聞の参拝者はこれを今か今かと息を呑んで聴き入ります。
聖武天皇以来、1694年(元禄7年/江戸時代)まで東大寺に縁があった貴人、僧侶、施主らの名を読み上げる「過去帳の読み上げ」が行われますが、その中に、「青衣女人(しょうえのにょにん)」という幽霊の名が入っています。
東大寺に伝わる古文書の1つ「二月堂縁起」によると、承元年代(鎌倉時代)2月5日の夜、僧侶・集慶(じゅうけい)が修二会で過去帳を読み上げていた際、「青い衣を羽織った女の幽霊」が現れ、「私の名前がなぜ過去帳にないのだ」と告げたそうです。その声の恐ろしさに僧侶たちは腰を抜かしてしまいますが、集慶は動じず、女人の名を読む代わりに「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と過去帳に付け加える形で読み上げると、女はスっと消え、それ以後、二度と姿を見せることがなかったそうです。このような経緯から、現在でも「青衣の女人」は、少し寂しいような調子で読み上げられ、聴聞の参拝者はこれを今か今かと息を呑んで聴き入ります。

聖武天皇以来、1694年(元禄7年/江戸時代)まで東大寺に縁があった貴人、僧侶、施主らの名を読み上げる「過去帳の読み上げ」が行われますが、その中に、「青衣女人(しょうえのにょにん)」という幽霊の名が入っています。
東大寺に伝わる古文書の1つ「二月堂縁起」によると、承元年代(鎌倉時代)2月5日の夜、僧侶・集慶(じゅうけい)が修二会で過去帳を読み上げていた際、「青い衣を羽織った女の幽霊」が現れ、「私の名前がなぜ過去帳にないのだ」と告げたそうです。その声の恐ろしさに僧侶たちは腰を抜かしてしまいますが、集慶は動じず、女人の名を読む代わりに「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と過去帳に付け加える形で読み上げると、女はスっと消え、それ以後、二度と姿を見せることがなかったそうです。このような経緯から、現在でも「青衣の女人」は、少し寂しいような調子で読み上げられ、聴聞の参拝者はこれを今か今かと息を呑んで聴き入ります。

【修二会のご祈祷】

修二会のご祈祷に申し込むと「青衣の女人」のように、名前と願い事(学業成就、家内安全など)が読み上げられ、願いが叶うようにお祈りして頂け、ご祈祷が終わった後には、お札を送って下さいます。(申し込み期間は、年明けから2月上旬迄)
修二会のご祈祷に申し込むと「青衣の女人」のように、名前と願い事(学業成就、家内安全など)が読み上げられ、願いが叶うようにお祈りして頂け、ご祈祷が終わった後には、お札を送って下さいます。(申し込み期間は、年明けから2月上旬迄)

修二会のご祈祷に申し込むと「青衣の女人」のように、名前と願い事(学業成就、家内安全など)が読み上げられ、願いが叶うようにお祈りして頂け、ご祈祷が終わった後には、お札を送って下さいます。(申し込み期間は、年明けから2月上旬迄)

【椿の生菓子】

修二会の本行に入る前の2月、東大寺では「花ごしらえ」が行われます。二月堂の傍の開山堂にある古木の椿を模し、僧侶たちが修行の一貫として紙で椿を作ります。長さ5cmの木の棒の周りに、椿のおしべとなる黄色の紙を巻き付け、赤白の紙を糊で貼り付けて作られる造花は本物の椿の枝に付けられ、二月堂御本尊十一面観音に捧げられ、中須弥壇の四隅を飾ります。
※東大寺の椿は、開山の良弁僧正に因み良弁椿と呼ばれる。赤い花に白い斑点模様が入っており、僧侶が造花を作る際に糊をこぼしたようなので「糊こぼし」という通称でも親しまれています。

木扁に春と書く椿は春の象徴で、固く丈夫な樹には霊力が宿るといわれ、古くから日本に自生し、現在では800種類ほどにもなるそうです。
奈良の和菓子店では、「椿」の造花に因んだ紅白の花弁の椿の生菓子がこの時期限定で販売され、春を呼ぶ銘菓として親しまれています。

お店ごとに製法が異なり、それぞれに趣向をこらしていますが、紅白に着色した練り切りの花弁と黄味餡のおしべからなり、修二会に因んだ名前が付けられていて、「糊こぼし(萬々堂通則)」「御堂椿(千代乃舎本家竹村)」「南無観椿(中西与三郎)」「修二会の椿(萬勝堂)」「二月堂椿(千壽庵吉宗)」「開山良弁椿(鶴屋徳満)」「参籠椿(萬林堂)」「良弁椿(樫舎)」入手するなら、どれも奈良の店舗からの郵送になります。
修二会の本行に入る前の2月、東大寺では「花ごしらえ」が行われます。二月堂の傍の開山堂にある古木の椿を模し、僧侶たちが修行の一貫として紙で椿を作ります。長さ5cmの木の棒の周りに、椿のおしべとなる黄色の紙を巻き付け、赤白の紙を糊で貼り付けて作られる造花は本物の椿の枝に付けられ、二月堂御本尊十一面観音に捧げられ、中須弥壇の四隅を飾ります。
※東大寺の椿は、開山の良弁僧正に因み良弁椿と呼ばれる。赤い花に白い斑点模様が入っており、僧侶が造花を作る際に糊をこぼしたようなので「糊こぼし」という通称でも親しまれています。

木扁に春と書く椿は春の象徴で、固く丈夫な樹には霊力が宿るといわれ、古くから日本に自生し、現在では800種類ほどにもなるそうです。
奈良の和菓子店では、「椿」の造花に因んだ紅白の花弁の椿の生菓子がこの時期限定で販売され、春を呼ぶ銘菓として親しまれています。

お店ごとに製法が異なり、それぞれに趣向をこらしていますが、紅白に着色した練り切りの花弁と黄味餡のおしべからなり、修二会に因んだ名前が付けられていて、「糊こぼし(萬々堂通則)」「御堂椿(千代乃舎本家竹村)」「南無観椿(中西与三郎)」「修二会の椿(萬勝堂)」「二月堂椿(千壽庵吉宗)」「開山良弁椿(鶴屋徳満)」「参籠椿(萬林堂)」「良弁椿(樫舎)」入手するなら、どれも奈良の店舗からの郵送になります。

修二会の本行に入る前の2月、東大寺では「花ごしらえ」が行われます。二月堂の傍の開山堂にある古木の椿を模し、僧侶たちが修行の一貫として紙で椿を作ります。長さ5cmの木の棒の周りに、椿のおしべとなる黄色の紙を巻き付け、赤白の紙を糊で貼り付けて作られる造花は本物の椿の枝に付けられ、二月堂御本尊十一面観音に捧げられ、中須弥壇の四隅を飾ります。
※東大寺の椿は、開山の良弁僧正に因み良弁椿と呼ばれる。赤い花に白い斑点模様が入っており、僧侶が造花を作る際に糊をこぼしたようなので「糊こぼし」という通称でも親しまれています。

木扁に春と書く椿は春の象徴で、固く丈夫な樹には霊力が宿るといわれ、古くから日本に自生し、現在では800種類ほどにもなるそうです。
奈良の和菓子店では、「椿」の造花に因んだ紅白の花弁の椿の生菓子がこの時期限定で販売され、春を呼ぶ銘菓として親しまれています。

お店ごとに製法が異なり、それぞれに趣向をこらしていますが、紅白に着色した練り切りの花弁と黄味餡のおしべからなり、修二会に因んだ名前が付けられていて、「糊こぼし(萬々堂通則)」「御堂椿(千代乃舎本家竹村)」「南無観椿(中西与三郎)」「修二会の椿(萬勝堂)」「二月堂椿(千壽庵吉宗)」「開山良弁椿(鶴屋徳満)」「参籠椿(萬林堂)」「良弁椿(樫舎)」入手するなら、どれも奈良の店舗からの郵送になります。

練り切りと黄味餡からなる奈良限定の椿の生菓子とは形状が異なりますが、手軽に春を告げる椿のお菓子を楽しみたいなら、全国展開している京都の菓匠・清閑院「椿の花」があります。香り高く濃厚で瑞々しい味わいの愛媛県産「せとか」の果皮を加えた柑橘の餡を薄紅色のきんとんで包んだ、艶やかな椿の装いの和菓子です。
練り切りと黄味餡からなる奈良限定の椿の生菓子とは形状が異なりますが、手軽に春を告げる椿のお菓子を楽しみたいなら、全国展開している京都の菓匠・清閑院「椿の花」があります。香り高く濃厚で瑞々しい味わいの愛媛県産「せとか」の果皮を加えた柑橘の餡を薄紅色のきんとんで包んだ、艶やかな椿の装いの和菓子です。

練り切りと黄味餡からなる奈良限定の椿の生菓子とは形状が異なりますが、手軽に春を告げる椿のお菓子を楽しみたいなら、全国展開している京都の菓匠・清閑院「椿の花」があります。香り高く濃厚で瑞々しい味わいの愛媛県産「せとか」の果皮を加えた柑橘の餡を薄紅色のきんとんで包んだ、艶やかな椿の装いの和菓子です。

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