縁結びの地・奥出雲で採れた天然水「仁多水(じんおおすい)」の公式ネットショップ

奥出雲の水「仁多水」

アクア:シマノシステム直営の公式ネットショップです。

  • ホーム
  • 商品一覧
  • 仁多水
  • 美味しさの秘密
  • 採水地「奥出雲」の自然
  • TSUNAGU

水は全て繋ぐ

2019年12月

「紙を漉く」は冬の季語です。
紙は水が命で、いい水で漉いた紙のことを「水のりが立つ」と表現し、水源が違えば紙の出来映えも変わってきます。紙漉きに必要な黄蜀葵(とろろあおい)の粘剤は、気温が低いほど粘りが出て材料とよく絡むようになり、水温が4℃の時に水の密度が一番大きくなるのも「寒漉きの紙が一番」といわれる所以だそうです。
紙料をひと掬いで簾に素早く広げ馴染ませる、この初水で紙肌がきまり、良い水と良い手が、紙を整える切れの良い音を静かに奏でます。この「紙漉き」を聴きに、一年に一度、冬の漉き場を訪れる人もいます。
「長野・内山和紙」「富山・越中和紙」「福井・越前和紙」「岐阜・美濃和紙」「高知・土佐和紙」「鳥取・因州和紙」「島根・石州和紙」「徳島・阿波和紙」「愛媛・大洲和紙」、質感や風合いは様々に異なり、それぞれが背負ってきた風土や歴史の表れともいえます。
「紙を漉く」は冬の季語です。
紙は水が命で、いい水で漉いた紙のことを「水のりが立つ」と表現し、水源が違えば紙の出来映えも変わってきます。紙漉きに必要な黄蜀葵(とろろあおい)の粘剤は、気温が低いほど粘りが出て材料とよく絡むようになり、水温が4℃の時に水の密度が一番大きくなるのも「寒漉きの紙が一番」といわれる所以だそうです。
紙料をひと掬いで簾に素早く広げ馴染ませる、この初水で紙肌がきまり、良い水と良い手が、紙を整える切れの良い音を静かに奏でます。この「紙漉き」を聴きに、一年に一度、冬の漉き場を訪れる人もいます。
「長野・内山和紙」「富山・越中和紙」「福井・越前和紙」「岐阜・美濃和紙」「高知・土佐和紙」「鳥取・因州和紙」「島根・石州和紙」「徳島・阿波和紙」「愛媛・大洲和紙」、質感や風合いは様々に異なり、それぞれが背負ってきた風土や歴史の表れともいえます。

「紙を漉く」は冬の季語です。
紙は水が命で、いい水で漉いた紙のことを「水のりが立つ」と表現し、水源が違えば紙の出来映えも変わってきます。紙漉きに必要な黄蜀葵(とろろあおい)の粘剤は、気温が低いほど粘りが出て材料とよく絡むようになり、水温が4℃の時に水の密度が一番大きくなるのも「寒漉きの紙が一番」といわれる所以だそうです。
紙料をひと掬いで簾に素早く広げ馴染ませる、この初水で紙肌がきまり、良い水と良い手が、紙を整える切れの良い音を静かに奏でます。この「紙漉き」を聴きに、一年に一度、冬の漉き場を訪れる人もいます。
「長野・内山和紙」「富山・越中和紙」「福井・越前和紙」「岐阜・美濃和紙」「高知・土佐和紙」「鳥取・因州和紙」「島根・石州和紙」「徳島・阿波和紙」「愛媛・大洲和紙」、質感や風合いは様々に異なり、それぞれが背負ってきた風土や歴史の表れともいえます。

◇和紙

日本古来の紙作りは、農閑期の副業として行われることが多く、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の樹皮・靭皮 (じんぴ) 繊維を用います。
楮(クワ科)は、雁皮や三椏に比べると繊維が長く、和紙作りに最適と言われ、千年生きる越前の手漉き和紙(楮100%)は、長きに渡り天皇や将軍の奉書紙に用いられてきました。 
雁皮(ジンチョウゲ科)は栽培が困難で、山林に自生している自然種利用になる為、処理に手間がかかります。野生の雁皮は粘りが強く、正倉院に残る文献にも使用され、虫害にびくともせず、永久保存可能といわれる為、古文書の復元に使用されます。
3年に一度、春に黄色い花を咲かせる三椏(ジンチョウゲ科)は、3年毎に財務省に納入、できた紙は光沢があり、丈夫な紙幣になります。
日本古来の紙作りは、農閑期の副業として行われることが多く、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の樹皮・靭皮 (じんぴ) 繊維を用います。
楮(クワ科)は、雁皮や三椏に比べると繊維が長く、和紙作りに最適と言われ、千年生きる越前の手漉き和紙(楮100%)は、長きに渡り天皇や将軍の奉書紙に用いられてきました。 
雁皮(ジンチョウゲ科)は栽培が困難で、山林に自生している自然種利用になる為、処理に手間がかかります。野生の雁皮は粘りが強く、正倉院に残る文献にも使用され、虫害にびくともせず、永久保存可能といわれる為、古文書の復元に使用されます。
3年に一度、春に黄色い花を咲かせる三椏(ジンチョウゲ科)は、3年毎に財務省に納入、できた紙は光沢があり、丈夫な紙幣になります。

日本古来の紙作りは、農閑期の副業として行われることが多く、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の樹皮・靭皮 (じんぴ) 繊維を用います。
楮(クワ科)は、雁皮や三椏に比べると繊維が長く、和紙作りに最適と言われ、千年生きる越前の手漉き和紙(楮100%)は、長きに渡り天皇や将軍の奉書紙に用いられてきました。 
雁皮(ジンチョウゲ科)は栽培が困難で、山林に自生している自然種利用になる為、処理に手間がかかります。野生の雁皮は粘りが強く、正倉院に残る文献にも使用され、虫害にびくともせず、永久保存可能といわれる為、古文書の復元に使用されます。
3年に一度、春に黄色い花を咲かせる三椏(ジンチョウゲ科)は、3年毎に財務省に納入、できた紙は光沢があり、丈夫な紙幣になります。

◇川晒し

純白の紙を漉くために、清流に一昼夜、楮を晒す「川晒し」は、水に恵まれた日本の冬の風景です。
川の水面に楮の樹皮を晒してアクや塵を取り除き、楮の内皮部分(楮の皮は「黒皮」「甘皮」「白皮」の三層構造で、主に白皮のみ使う)を剥ぎ、3時間~4時間煮て、もう一度流水に晒すと、川底の小石の間に沈んだ汚れを豊富な水の流れが速やかに流し去り、薄い黄色の皮は川の中で日光を受けて白くなっていきます。
水温が高いと繊維が傷むため、川晒しは水ぬるむ頃までに終えるとされてきました。

良い和紙を作るには水質も重要で、紙を変色させる原因となるカルシウムやマグネシウムイオンを含まない軟水が適しているといわれます。

塩素漂白されている大半の障子紙は、紙を漉いた直後は白くても、紫外線によって黄ばんできます。一方、自然の力で作った和紙は、できあがった当初は鮮明な白ではないものの、紫外線によって少しずつ白さを増していきます。

川と同じように工夫を凝らした水路で晒し、水からあげて太陽の紫外線をあてても、川で晒すのと同じようにはなりません。流水に晒し陽の光にあてる原理は同じでも、川の中で日の光に当たりながら晒されたものは、何かかが違うそうです。

 日本国土を流れる川は、単なる生産や物流の場ではなく、人々はその清らかな水を全身で受けとめ、端正な美、自然の美しさを追い求めてきたのかもしれません。

真冬、丁寧に漉かれた紙のきりりとした仕上がりは、造り手の精神が乗り遷るのでしょうか。凜と気高く高い精神性を思わせ、触れれば包み込んでくれるような温かさを持ち合わせています。
何百年も間、白さを増していく和紙。それは、日本人の心に眠る「白む」への憧れなのかも知れません。
純白の紙を漉くために、清流に一昼夜、楮を晒す「川晒し」は、水に恵まれた日本の冬の風景です。
川の水面に楮の樹皮を晒してアクや塵を取り除き、楮の内皮部分(楮の皮は「黒皮」「甘皮」「白皮」の三層構造で、主に白皮のみ使う)を剥ぎ、3時間~4時間煮て、もう一度流水に晒すと、川底の小石の間に沈んだ汚れを豊富な水の流れが速やかに流し去り、薄い黄色の皮は川の中で日光を受けて白くなっていきます。
水温が高いと繊維が傷むため、川晒しは水ぬるむ頃までに終えるとされてきました。

良い和紙を作るには水質も重要で、紙を変色させる原因となるカルシウムやマグネシウムイオンを含まない軟水が適しているといわれます。

塩素漂白されている大半の障子紙は、紙を漉いた直後は白くても、紫外線によって黄ばんできます。一方、自然の力で作った和紙は、できあがった当初は鮮明な白ではないものの、紫外線によって少しずつ白さを増していきます。

川と同じように工夫を凝らした水路で晒し、水からあげて太陽の紫外線をあてても、川で晒すのと同じようにはなりません。流水に晒し陽の光にあてる原理は同じでも、川の中で日の光に当たりながら晒されたものは、何かかが違うそうです。

 日本国土を流れる川は、単なる生産や物流の場ではなく、人々はその清らかな水を全身で受けとめ、端正な美、自然の美しさを追い求めてきたのかもしれません。

真冬、丁寧に漉かれた紙のきりりとした仕上がりは、造り手の精神が乗り遷るのでしょうか。凜と気高く高い精神性を思わせ、触れれば包み込んでくれるような温かさを持ち合わせています。
何百年も間、白さを増していく和紙。それは、日本人の心に眠る「白む」への憧れなのかも知れません。

純白の紙を漉くために、清流に一昼夜、楮を晒す「川晒し」は、水に恵まれた日本の冬の風景です。
川の水面に楮の樹皮を晒してアクや塵を取り除き、楮の内皮部分(楮の皮は「黒皮」「甘皮」「白皮」の三層構造で、主に白皮のみ使う)を剥ぎ、3時間~4時間煮て、もう一度流水に晒すと、川底の小石の間に沈んだ汚れを豊富な水の流れが速やかに流し去り、薄い黄色の皮は川の中で日光を受けて白くなっていきます。
水温が高いと繊維が傷むため、川晒しは水ぬるむ頃までに終えるとされてきました。

良い和紙を作るには水質も重要で、紙を変色させる原因となるカルシウムやマグネシウムイオンを含まない軟水が適しているといわれます。

塩素漂白されている大半の障子紙は、紙を漉いた直後は白くても、紫外線によって黄ばんできます。一方、自然の力で作った和紙は、できあがった当初は鮮明な白ではないものの、紫外線によって少しずつ白さを増していきます。

川と同じように工夫を凝らした水路で晒し、水からあげて太陽の紫外線をあてても、川で晒すのと同じようにはなりません。流水に晒し陽の光にあてる原理は同じでも、川の中で日の光に当たりながら晒されたものは、何かかが違うそうです。

 日本国土を流れる川は、単なる生産や物流の場ではなく、人々はその清らかな水を全身で受けとめ、端正な美、自然の美しさを追い求めてきたのかもしれません。

真冬、丁寧に漉かれた紙のきりりとした仕上がりは、造り手の精神が乗り遷るのでしょうか。凜と気高く高い精神性を思わせ、触れれば包み込んでくれるような温かさを持ち合わせています。
何百年も間、白さを増していく和紙。それは、日本人の心に眠る「白む」への憧れなのかも知れません。

原料から紙になるまで約10日。原木から取れる原料は8%で、紙になるのはその半分、つまり100kgの楮の原木から出来る和紙は僅か4㎏。
和紙作りの中心に使われる楮は、さほど栽培に手間はかからないものの、収入が非常に少なく国内生産者は減る一方です。海外産の楮は紙にした時に油の塊が残るので、日本産の苗木の海外移植を行いましたが、外国で育つと現地の特性に変わってしまい国産の品質を保つことは難しいようです。

和紙は吸湿性、吸臭性が高く、エコロジーの観点からも、近年、住宅関連の素材に見直されてきています。
行燈、障子、襖、こより、懐紙、巧みに紙を操り共に生きてきた私達日本人は、多くの課題を抱えながらも、和紙の特性をより活かす新しい文化を、伝統の上に紡いでいこうとしています。
原料から紙になるまで約10日。原木から取れる原料は8%で、紙になるのはその半分、つまり100kgの楮の原木から出来る和紙は僅か4㎏。
和紙作りの中心に使われる楮は、さほど栽培に手間はかからないものの、収入が非常に少なく国内生産者は減る一方です。海外産の楮は紙にした時に油の塊が残るので、日本産の苗木の海外移植を行いましたが、外国で育つと現地の特性に変わってしまい国産の品質を保つことは難しいようです。

和紙は吸湿性、吸臭性が高く、エコロジーの観点からも、近年、住宅関連の素材に見直されてきています。
行燈、障子、襖、こより、懐紙、巧みに紙を操り共に生きてきた私達日本人は、多くの課題を抱えながらも、和紙の特性をより活かす新しい文化を、伝統の上に紡いでいこうとしています。

原料から紙になるまで約10日。原木から取れる原料は8%で、紙になるのはその半分、つまり100kgの楮の原木から出来る和紙は僅か4㎏。
和紙作りの中心に使われる楮は、さほど栽培に手間はかからないものの、収入が非常に少なく国内生産者は減る一方です。海外産の楮は紙にした時に油の塊が残るので、日本産の苗木の海外移植を行いましたが、外国で育つと現地の特性に変わってしまい国産の品質を保つことは難しいようです。

和紙は吸湿性、吸臭性が高く、エコロジーの観点からも、近年、住宅関連の素材に見直されてきています。
行燈、障子、襖、こより、懐紙、巧みに紙を操り共に生きてきた私達日本人は、多くの課題を抱えながらも、和紙の特性をより活かす新しい文化を、伝統の上に紡いでいこうとしています。

◇和紙の作り方

1)11月末から1月にかけて刈り取った楮を同じ長さに揃え1週間以内に甑で3~4時間蒸し、熱いうちに黒色の外皮をはいだ後、天日で乾燥させます。
2)紙を漉くのに必要な分の黒皮を24時間川に晒し、外皮をはいだ白皮だけを灰で3、4時間煮て繊維を柔らかくし、もう一度、川に晒し、天日で繊維を白くします。
3)その後、一つ一つ手作業で繊維の汚れや傷を取り除く気の遠くなるような「塵選り(ちりより)」を終え、樫の棒で、繊維が綿のようになるまで、叩きほぐします。
4)その繊維を、松、杉材などで作られた漉き舟の中に入れ、水ととろろを加え馬鍬(うまぐわ)という木を櫛状にした道具で、ほぐすように攪拌します。
5)紙漉は上下の桁(けた)で簀(す)を挟んだ簀桁(すけた)という用具で行います。簀を編むには強靱な生糸が使われ、一定間隔で糸の締まり具合を均一に、また、漉く紙の種類によって竹ひご、萱ひごの太さを変えます。桁は木目のよく通ったひのき材を使い、狂いが生じないように、また原料をくみ込んだ時に水平になるように、わずかに山形に湾曲させてつくられています。
1)11月末から1月にかけて刈り取った楮を同じ長さに揃え1週間以内に甑で3~4時間蒸し、熱いうちに黒色の外皮をはいだ後、天日で乾燥させます。
2)紙を漉くのに必要な分の黒皮を24時間川に晒し、外皮をはいだ白皮だけを灰で3、4時間煮て繊維を柔らかくし、もう一度、川に晒し、天日で繊維を白くします。
3)その後、一つ一つ手作業で繊維の汚れや傷を取り除く気の遠くなるような「塵選り(ちりより)」を終え、樫の棒で、繊維が綿のようになるまで、叩きほぐします。
4)その繊維を、松、杉材などで作られた漉き舟の中に入れ、水ととろろを加え馬鍬(うまぐわ)という木を櫛状にした道具で、ほぐすように攪拌します。
5)紙漉は上下の桁(けた)で簀(す)を挟んだ簀桁(すけた)という用具で行います。簀を編むには強靱な生糸が使われ、一定間隔で糸の締まり具合を均一に、また、漉く紙の種類によって竹ひご、萱ひごの太さを変えます。桁は木目のよく通ったひのき材を使い、狂いが生じないように、また原料をくみ込んだ時に水平になるように、わずかに山形に湾曲させてつくられています。

1)11月末から1月にかけて刈り取った楮を同じ長さに揃え1週間以内に甑で3~4時間蒸し、熱いうちに黒色の外皮をはいだ後、天日で乾燥させます。
2)紙を漉くのに必要な分の黒皮を24時間川に晒し、外皮をはいだ白皮だけを灰で3、4時間煮て繊維を柔らかくし、もう一度、川に晒し、天日で繊維を白くします。
3)その後、一つ一つ手作業で繊維の汚れや傷を取り除く気の遠くなるような「塵選り(ちりより)」を終え、樫の棒で、繊維が綿のようになるまで、叩きほぐします。
4)その繊維を、松、杉材などで作られた漉き舟の中に入れ、水ととろろを加え馬鍬(うまぐわ)という木を櫛状にした道具で、ほぐすように攪拌します。
5)紙漉は上下の桁(けた)で簀(す)を挟んだ簀桁(すけた)という用具で行います。簀を編むには強靱な生糸が使われ、一定間隔で糸の締まり具合を均一に、また、漉く紙の種類によって竹ひご、萱ひごの太さを変えます。桁は木目のよく通ったひのき材を使い、狂いが生じないように、また原料をくみ込んだ時に水平になるように、わずかに山形に湾曲させてつくられています。

6)漉桁(すけた)の手前から水を汲んで、動かしながら紙を漉きますが、この「紙漉き」をくり返す回数は、紙の厚さや種類によって異なります。
7)漉き終わったら、空気を入れないように気をつけながら、簀(す)を床(とこ)におろし、そっと簀をあげて紙を重ねる作業を繰り返し、一昼夜、自然に水を切ります。紙床(しと)は一見、お餅のようにも見えます。



8)その後、さらに天秤に重石を下げて、ゆっくり圧をかけて水を絞り一昼夜プレスしたままにしておくと、トロロの粘り気が完全になくなります。(流し漉の紙は表面が滑らかなので、別の紙とつくことはありません)
9)プレスし終わったものを紙床から一枚ずつはがし、銀杏(木肌の平滑さから最良とされる)、松、とち、桧の干し板に貼り付け、天日で乾燥させます。板についた面が光沢のある面になり、天日で紙は白さを増していきます。
6)漉桁(すけた)の手前から水を汲んで、動かしながら紙を漉きますが、この「紙漉き」をくり返す回数は、紙の厚さや種類によって異なります。
7)漉き終わったら、空気を入れないように気をつけながら、簀(す)を床(とこ)におろし、そっと簀をあげて紙を重ねる作業を繰り返し、一昼夜、自然に水を切ります。紙床(しと)は一見、お餅のようにも見えます。



8)その後、さらに天秤に重石を下げて、ゆっくり圧をかけて水を絞り一昼夜プレスしたままにしておくと、トロロの粘り気が完全になくなります。(流し漉の紙は表面が滑らかなので、別の紙とつくことはありません)
9)プレスし終わったものを紙床から一枚ずつはがし、銀杏(木肌の平滑さから最良とされる)、松、とち、桧の干し板に貼り付け、天日で乾燥させます。板についた面が光沢のある面になり、天日で紙は白さを増していきます。

6)漉桁(すけた)の手前から水を汲んで、動かしながら紙を漉きますが、この「紙漉き」をくり返す回数は、紙の厚さや種類によって異なります。
7)漉き終わったら、空気を入れないように気をつけながら、簀(す)を床(とこ)におろし、そっと簀をあげて紙を重ねる作業を繰り返し、一昼夜、自然に水を切ります。紙床(しと)は一見、お餅のようにも見えます。



8)その後、さらに天秤に重石を下げて、ゆっくり圧をかけて水を絞り一昼夜プレスしたままにしておくと、トロロの粘り気が完全になくなります。(流し漉の紙は表面が滑らかなので、別の紙とつくことはありません)
9)プレスし終わったものを紙床から一枚ずつはがし、銀杏(木肌の平滑さから最良とされる)、松、とち、桧の干し板に貼り付け、天日で乾燥させます。板についた面が光沢のある面になり、天日で紙は白さを増していきます。

◇日本固有の「流し漉き」

紙を漉く過程にある「流し漉き」は、古代中国で紙が発明された頃からの「溜め漉き」と異なり、簀桁(すけた)を前後に揺り動かすことで、簀桁(すけた)の上で行き来する繊維が綺麗に並び、厚さが均等で滑らかな紙になり、繊維どうしがよく絡み合うので、薄くても紙の強度を上げることができます。

この「流し漉き」は日本で生まれた独自の漉き方で、トロロを混ぜることで完成。日本の和紙はこの時、世界と異なる薄くしなやかで強靭な紙へ変貌を遂げました。その始まりは、奈良時代まで遡るといわれます。(中国から伝わった溜め漉きはトロロを入れないのでゆり動かすことはできません)

 紙漉きが日本に伝えられた頃は、麻や楮などの植物から繊維を取り出す方法も簡単で、植物繊維が持つ粘りを利用していましたが 、美しい紙を作ろうとして繊維を取り除くと、粘りも失われ、強い紙ができなくなりました。後に、外国から薬として伝わったトロロアオイの根にとても強い粘り気があることがわかり、粘液を楮に混ぜると強く美しい紙が誕生。この製法が主流となり、日本の和紙は種類が豊富で実用的で美しいと、世界から注目されるようになりました。
※トロロとして使う植物は、主にトロロアオイ・ノリウツギ。不足時は、スイセン・ビナンカズラ・ヒガンバナ・オクラ・イヌグス・アオギリなどが用いられます。

紙を漉く過程にある「流し漉き」は、古代中国で紙が発明された頃からの「溜め漉き」と異なり、簀桁(すけた)を前後に揺り動かすことで、簀桁(すけた)の上で行き来する繊維が綺麗に並び、厚さが均等で滑らかな紙になり、繊維どうしがよく絡み合うので、薄くても紙の強度を上げることができます。

この「流し漉き」は日本で生まれた独自の漉き方で、トロロを混ぜることで完成。日本の和紙はこの時、世界と異なる薄くしなやかで強靭な紙へ変貌を遂げました。その始まりは、奈良時代まで遡るといわれます。(中国から伝わった溜め漉きはトロロを入れないのでゆり動かすことはできません)

 紙漉きが日本に伝えられた頃は、麻や楮などの植物から繊維を取り出す方法も簡単で、植物繊維が持つ粘りを利用していましたが 、美しい紙を作ろうとして繊維を取り除くと、粘りも失われ、強い紙ができなくなりました。後に、外国から薬として伝わったトロロアオイの根にとても強い粘り気があることがわかり、粘液を楮に混ぜると強く美しい紙が誕生。この製法が主流となり、日本の和紙は種類が豊富で実用的で美しいと、世界から注目されるようになりました。
※トロロとして使う植物は、主にトロロアオイ・ノリウツギ。不足時は、スイセン・ビナンカズラ・ヒガンバナ・オクラ・イヌグス・アオギリなどが用いられます。

紙を漉く過程にある「流し漉き」は、古代中国で紙が発明された頃からの「溜め漉き」と異なり、簀桁(すけた)を前後に揺り動かすことで、簀桁(すけた)の上で行き来する繊維が綺麗に並び、厚さが均等で滑らかな紙になり、繊維どうしがよく絡み合うので、薄くても紙の強度を上げることができます。

この「流し漉き」は日本で生まれた独自の漉き方で、トロロを混ぜることで完成。日本の和紙はこの時、世界と異なる薄くしなやかで強靭な紙へ変貌を遂げました。その始まりは、奈良時代まで遡るといわれます。(中国から伝わった溜め漉きはトロロを入れないのでゆり動かすことはできません)

 紙漉きが日本に伝えられた頃は、麻や楮などの植物から繊維を取り出す方法も簡単で、植物繊維が持つ粘りを利用していましたが 、美しい紙を作ろうとして繊維を取り除くと、粘りも失われ、強い紙ができなくなりました。後に、外国から薬として伝わったトロロアオイの根にとても強い粘り気があることがわかり、粘液を楮に混ぜると強く美しい紙が誕生。この製法が主流となり、日本の和紙は種類が豊富で実用的で美しいと、世界から注目されるようになりました。
※トロロとして使う植物は、主にトロロアオイ・ノリウツギ。不足時は、スイセン・ビナンカズラ・ヒガンバナ・オクラ・イヌグス・アオギリなどが用いられます。

◇和紙の特性

和紙のほとんどは中性で、劣化しにくいのは千年以上前の紙が残っていることからもわかります。(薬品を多く使う機械漉きの紙は酸性で、百年しか保ちません。機械漉きの紙原料、木材パルプは光に当たると繊維を弱くするリグニンが多く含まれるので、日に当てると黄変、やがて朽ちていきます)

自然の恵みでできている和紙は、自然の様々な素材(漆・柿渋・蒟蒻・土・米)と合わせることで、水に強くなったり、火に強くなったり、強度を増し、驚くような変容を遂げます。
楮紙と漆でつくる「一閑張」の調度品や家具は軽くて丈夫。また、和紙を細かく裂いて撚った紙糸で織った衣服、紙衣(かみこ)は豊かな色調で、使いこむほどに身体に馴染み、水洗いに耐える強靱さもあります。

和紙は長い植物繊維が複雑に絡み合って付いているだけなので、繊維の間に沢山の隙間があります。これが墨のノリを良くしたり、ここから空気が行き来するので障子越しに季節の移ろいを感じたり、光は繊維によって曲げられ穏やかに生まれ変わります。和紙は温かみがあり「生きている」と言われるのは、この特性に因るものです。

和紙の繊維はとても長いので、折り畳みをくり返してもなかなか破れません。日本のお札が丈夫なのも三椏が原料だからです。

天日でじっくり時間をかけて乾燥させた手漉き和紙は水分がゆっくり飛ぶので、水分を含んだ時にも破れにくくなります。

石碑などの拓本をとる湿拓技法は、和紙を湿らせ伸ばすことで可能になります。障子紙を張り替えた後も、霧吹きで水をかけておくと、乾いた時には綺麗に張れています。

手漉き和紙は、簀桁(すけた)の動かし方や紙の厚さなど、その人でないと漉くことができない唯一の紙で、「この紙でなければ」という特性や特質を、伝統工芸や文化財などの随所に用いてきました。
和紙のほとんどは中性で、劣化しにくいのは千年以上前の紙が残っていることからもわかります。(薬品を多く使う機械漉きの紙は酸性で、百年しか保ちません。機械漉きの紙原料、木材パルプは光に当たると繊維を弱くするリグニンが多く含まれるので、日に当てると黄変、やがて朽ちていきます)

自然の恵みでできている和紙は、自然の様々な素材(漆・柿渋・蒟蒻・土・米)と合わせることで、水に強くなったり、火に強くなったり、強度を増し、驚くような変容を遂げます。
楮紙と漆でつくる「一閑張」の調度品や家具は軽くて丈夫。また、和紙を細かく裂いて撚った紙糸で織った衣服、紙衣(かみこ)は豊かな色調で、使いこむほどに身体に馴染み、水洗いに耐える強靱さもあります。

和紙は長い植物繊維が複雑に絡み合って付いているだけなので、繊維の間に沢山の隙間があります。これが墨のノリを良くしたり、ここから空気が行き来するので障子越しに季節の移ろいを感じたり、光は繊維によって曲げられ穏やかに生まれ変わります。和紙は温かみがあり「生きている」と言われるのは、この特性に因るものです。

和紙の繊維はとても長いので、折り畳みをくり返してもなかなか破れません。日本のお札が丈夫なのも三椏が原料だからです。

天日でじっくり時間をかけて乾燥させた手漉き和紙は水分がゆっくり飛ぶので、水分を含んだ時にも破れにくくなります。

石碑などの拓本をとる湿拓技法は、和紙を湿らせ伸ばすことで可能になります。障子紙を張り替えた後も、霧吹きで水をかけておくと、乾いた時には綺麗に張れています。

手漉き和紙は、簀桁(すけた)の動かし方や紙の厚さなど、その人でないと漉くことができない唯一の紙で、「この紙でなければ」という特性や特質を、伝統工芸や文化財などの随所に用いてきました。

和紙のほとんどは中性で、劣化しにくいのは千年以上前の紙が残っていることからもわかります。(薬品を多く使う機械漉きの紙は酸性で、百年しか保ちません。機械漉きの紙原料、木材パルプは光に当たると繊維を弱くするリグニンが多く含まれるので、日に当てると黄変、やがて朽ちていきます)

自然の恵みでできている和紙は、自然の様々な素材(漆・柿渋・蒟蒻・土・米)と合わせることで、水に強くなったり、火に強くなったり、強度を増し、驚くような変容を遂げます。
楮紙と漆でつくる「一閑張」の調度品や家具は軽くて丈夫。また、和紙を細かく裂いて撚った紙糸で織った衣服、紙衣(かみこ)は豊かな色調で、使いこむほどに身体に馴染み、水洗いに耐える強靱さもあります。

和紙は長い植物繊維が複雑に絡み合って付いているだけなので、繊維の間に沢山の隙間があります。これが墨のノリを良くしたり、ここから空気が行き来するので障子越しに季節の移ろいを感じたり、光は繊維によって曲げられ穏やかに生まれ変わります。和紙は温かみがあり「生きている」と言われるのは、この特性に因るものです。

和紙の繊維はとても長いので、折り畳みをくり返してもなかなか破れません。日本のお札が丈夫なのも三椏が原料だからです。

天日でじっくり時間をかけて乾燥させた手漉き和紙は水分がゆっくり飛ぶので、水分を含んだ時にも破れにくくなります。

石碑などの拓本をとる湿拓技法は、和紙を湿らせ伸ばすことで可能になります。障子紙を張り替えた後も、霧吹きで水をかけておくと、乾いた時には綺麗に張れています。

手漉き和紙は、簀桁(すけた)の動かし方や紙の厚さなど、その人でないと漉くことができない唯一の紙で、「この紙でなければ」という特性や特質を、伝統工芸や文化財などの随所に用いてきました。

◇和紙と洋紙

和紙が他の紙と違うのは、「楮・ミツマタ・ガンピ」を使っていたという点です。
これらは、洋紙の原料に比べ繊維が長く、それを丁寧にゆすることで繊維同士の絡みを強めシートにしています。 これにより、薄くても強靭という特性がもたらされました。 
洋紙の場合は逆で、短い繊維をシート状に固めることで隙間をなくすように作ります。 隙間があるとインクが抜けてしまい、印刷の滲みになるからです。
和紙が他の紙と違うのは、「楮・ミツマタ・ガンピ」を使っていたという点です。
これらは、洋紙の原料に比べ繊維が長く、それを丁寧にゆすることで繊維同士の絡みを強めシートにしています。 これにより、薄くても強靭という特性がもたらされました。 
洋紙の場合は逆で、短い繊維をシート状に固めることで隙間をなくすように作ります。 隙間があるとインクが抜けてしまい、印刷の滲みになるからです。

和紙が他の紙と違うのは、「楮・ミツマタ・ガンピ」を使っていたという点です。
これらは、洋紙の原料に比べ繊維が長く、それを丁寧にゆすることで繊維同士の絡みを強めシートにしています。 これにより、薄くても強靭という特性がもたらされました。 
洋紙の場合は逆で、短い繊維をシート状に固めることで隙間をなくすように作ります。 隙間があるとインクが抜けてしまい、印刷の滲みになるからです。

◇神に託された紙造り・越前

北陸自動車道・武生(たけふ)ICから車で10分程東にある越前今立の大滝町、岩本町、不老(おいず)町、定友町、新在家町からなる五箇地区には、街を流れる岡本川を中心に、今も多くの和紙業者が軒を連ねています。
6世紀頃に漉かれるようになった越前和紙ですが、仏教の普及により紙の需要が急増、701年大宝律令が始まり国は戸籍等の記録に大量の紙を必要とし、質の高い越前和紙は公家や武士の奉書紙として用いられ(正倉院保管の730年の文書も越前和紙を使用)、江戸時代には日本一の紙の証「御上天下一」の印が捺され、人間国宝も多く輩出してきました。
紙幣に使われる「透かし」の技法を生み出したのも越前和紙です。1940年には大蔵省印刷局の出張所が今立に設置され、この地から紙幣が製造されました。その透かしの技術は卒業証書にも使われ、越前市では卒業を迎えた生徒が、自ら卒業証書用の和紙を漉くそうです。
今も職人たちがせっせと紙を漉く姿を見ることができるこの街の紙作りへの思いは、「神に与えられた生業」という矜持から来ているようです。
北陸自動車道・武生(たけふ)ICから車で10分程東にある越前今立の大滝町、岩本町、不老(おいず)町、定友町、新在家町からなる五箇地区には、街を流れる岡本川を中心に、今も多くの和紙業者が軒を連ねています。
6世紀頃に漉かれるようになった越前和紙ですが、仏教の普及により紙の需要が急増、701年大宝律令が始まり国は戸籍等の記録に大量の紙を必要とし、質の高い越前和紙は公家や武士の奉書紙として用いられ(正倉院保管の730年の文書も越前和紙を使用)、江戸時代には日本一の紙の証「御上天下一」の印が捺され、人間国宝も多く輩出してきました。
紙幣に使われる「透かし」の技法を生み出したのも越前和紙です。1940年には大蔵省印刷局の出張所が今立に設置され、この地から紙幣が製造されました。その透かしの技術は卒業証書にも使われ、越前市では卒業を迎えた生徒が、自ら卒業証書用の和紙を漉くそうです。
今も職人たちがせっせと紙を漉く姿を見ることができるこの街の紙作りへの思いは、「神に与えられた生業」という矜持から来ているようです。

北陸自動車道・武生(たけふ)ICから車で10分程東にある越前今立の大滝町、岩本町、不老(おいず)町、定友町、新在家町からなる五箇地区には、街を流れる岡本川を中心に、今も多くの和紙業者が軒を連ねています。
6世紀頃に漉かれるようになった越前和紙ですが、仏教の普及により紙の需要が急増、701年大宝律令が始まり国は戸籍等の記録に大量の紙を必要とし、質の高い越前和紙は公家や武士の奉書紙として用いられ(正倉院保管の730年の文書も越前和紙を使用)、江戸時代には日本一の紙の証「御上天下一」の印が捺され、人間国宝も多く輩出してきました。
紙幣に使われる「透かし」の技法を生み出したのも越前和紙です。1940年には大蔵省印刷局の出張所が今立に設置され、この地から紙幣が製造されました。その透かしの技術は卒業証書にも使われ、越前市では卒業を迎えた生徒が、自ら卒業証書用の和紙を漉くそうです。
今も職人たちがせっせと紙を漉く姿を見ることができるこの街の紙作りへの思いは、「神に与えられた生業」という矜持から来ているようです。

越前和紙の歴史に関わる紙の神様が、越前「岡太(おかもと)神社(457~79に創建・全国紙業界の総鎮守)大瀧神社(592~638に創建)」に祀られています。

約1500年前に岡本(おかもと)川の上流に現れた姫が「この村里は、谷間で田畑が少なく暮らしにくい場所ですが、清らかな谷川と緑深い山々に恵まれていますから、紙を漉いて生計を立てれば暮らしは楽になるでしょう」と村人に紙漉きの技を教えた。これが越前和紙の発祥とされ、感謝した村人たちが尋ねた名が「川上に住む者」だったので、以来、この姫を紙祖(しそ)神「川上御前」としてお祀りするようになり、万物を産み育てる水の神、子育ての神としても崇めるようになったのが「岡太神社」です。

岡太神社と大瀧神社は、背後にある大徳山という霊山の山上にある「上宮」と、山の麓にある「下宮」から成り立っています。山頂付近では、岡太神社本殿と大瀧神社奥の院はそれぞれの社殿をもつものの、下宮では両社の建物として一つになっています。

歴史の古いのは岡太神社の方ですが、大滝神社の前身は「大瀧兒権現(おおたきちごだいごんげん)」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山・平泉寺の末寺として隆盛をきわめ、その境内に、当時既に産土神として信仰されていた川上御前を守護神として迎え、主祭神に国常立尊・伊弉諾尊をお祀りし、十一面観音菩薩を大瀧寺の本地(神仏習合の考えで神様の仏としての姿)としました。
越前和紙の歴史に関わる紙の神様が、越前「岡太(おかもと)神社(457~79に創建・全国紙業界の総鎮守)大瀧神社(592~638に創建)」に祀られています。

約1500年前に岡本(おかもと)川の上流に現れた姫が「この村里は、谷間で田畑が少なく暮らしにくい場所ですが、清らかな谷川と緑深い山々に恵まれていますから、紙を漉いて生計を立てれば暮らしは楽になるでしょう」と村人に紙漉きの技を教えた。これが越前和紙の発祥とされ、感謝した村人たちが尋ねた名が「川上に住む者」だったので、以来、この姫を紙祖(しそ)神「川上御前」としてお祀りするようになり、万物を産み育てる水の神、子育ての神としても崇めるようになったのが「岡太神社」です。

岡太神社と大瀧神社は、背後にある大徳山という霊山の山上にある「上宮」と、山の麓にある「下宮」から成り立っています。山頂付近では、岡太神社本殿と大瀧神社奥の院はそれぞれの社殿をもつものの、下宮では両社の建物として一つになっています。

歴史の古いのは岡太神社の方ですが、大滝神社の前身は「大瀧兒権現(おおたきちごだいごんげん)」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山・平泉寺の末寺として隆盛をきわめ、その境内に、当時既に産土神として信仰されていた川上御前を守護神として迎え、主祭神に国常立尊・伊弉諾尊をお祀りし、十一面観音菩薩を大瀧寺の本地(神仏習合の考えで神様の仏としての姿)としました。

越前和紙の歴史に関わる紙の神様が、越前「岡太(おかもと)神社(457~79に創建・全国紙業界の総鎮守)大瀧神社(592~638に創建)」に祀られています。

約1500年前に岡本(おかもと)川の上流に現れた姫が「この村里は、谷間で田畑が少なく暮らしにくい場所ですが、清らかな谷川と緑深い山々に恵まれていますから、紙を漉いて生計を立てれば暮らしは楽になるでしょう」と村人に紙漉きの技を教えた。これが越前和紙の発祥とされ、感謝した村人たちが尋ねた名が「川上に住む者」だったので、以来、この姫を紙祖(しそ)神「川上御前」としてお祀りするようになり、万物を産み育てる水の神、子育ての神としても崇めるようになったのが「岡太神社」です。

岡太神社と大瀧神社は、背後にある大徳山という霊山の山上にある「上宮」と、山の麓にある「下宮」から成り立っています。山頂付近では、岡太神社本殿と大瀧神社奥の院はそれぞれの社殿をもつものの、下宮では両社の建物として一つになっています。

歴史の古いのは岡太神社の方ですが、大滝神社の前身は「大瀧兒権現(おおたきちごだいごんげん)」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山・平泉寺の末寺として隆盛をきわめ、その境内に、当時既に産土神として信仰されていた川上御前を守護神として迎え、主祭神に国常立尊・伊弉諾尊をお祀りし、十一面観音菩薩を大瀧寺の本地(神仏習合の考えで神様の仏としての姿)としました。

現在の下宮社殿は天保14年(1843)に再建されたもので、山の峰を集めたような、幾重もの波が寄せ合うような独特な檜皮葺きの屋根が連なり、本殿(大型一間社流造、檜皮葺)と拝殿(入母屋、向拝一唐破造、檜皮葺)が一体化した他に類を見ない複合社殿は、国の重要文化財に指定されています。

美しさと複雑さを併せもつ躍動感ある社殿を手掛けたのは、曹洞宗本山永平寺の勅使門を手掛けた大久保勘左衛門という宮大工。技術の限界に挑んだかのような精巧な作りは日本一複雑といわれ、建物正面に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻は精緻、社殿の側面と背面に施された中国の「故事」を題材にした丸彫彫刻は華麗で、この神社への並々ならぬ思いが見えてきます。
(冬場は雪除けで一部覆われる為、拝観は初夏~秋がお薦めです)
川上御前は、背後にそびえる山頂に祀られており、毎年、春と秋に下宮にお迎えし、五箇地区を巡幸する例大祭が行われます。里人の信仰は篤く、神の御加護の元、紙漉きの伝統を大切に守り続けています。
現在の下宮社殿は天保14年(1843)に再建されたもので、山の峰を集めたような、幾重もの波が寄せ合うような独特な檜皮葺きの屋根が連なり、本殿(大型一間社流造、檜皮葺)と拝殿(入母屋、向拝一唐破造、檜皮葺)が一体化した他に類を見ない複合社殿は、国の重要文化財に指定されています。

美しさと複雑さを併せもつ躍動感ある社殿を手掛けたのは、曹洞宗本山永平寺の勅使門を手掛けた大久保勘左衛門という宮大工。技術の限界に挑んだかのような精巧な作りは日本一複雑といわれ、建物正面に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻は精緻、社殿の側面と背面に施された中国の「故事」を題材にした丸彫彫刻は華麗で、この神社への並々ならぬ思いが見えてきます。
(冬場は雪除けで一部覆われる為、拝観は初夏~秋がお薦めです)
川上御前は、背後にそびえる山頂に祀られており、毎年、春と秋に下宮にお迎えし、五箇地区を巡幸する例大祭が行われます。里人の信仰は篤く、神の御加護の元、紙漉きの伝統を大切に守り続けています。

現在の下宮社殿は天保14年(1843)に再建されたもので、山の峰を集めたような、幾重もの波が寄せ合うような独特な檜皮葺きの屋根が連なり、本殿(大型一間社流造、檜皮葺)と拝殿(入母屋、向拝一唐破造、檜皮葺)が一体化した他に類を見ない複合社殿は、国の重要文化財に指定されています。

美しさと複雑さを併せもつ躍動感ある社殿を手掛けたのは、曹洞宗本山永平寺の勅使門を手掛けた大久保勘左衛門という宮大工。技術の限界に挑んだかのような精巧な作りは日本一複雑といわれ、建物正面に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻は精緻、社殿の側面と背面に施された中国の「故事」を題材にした丸彫彫刻は華麗で、この神社への並々ならぬ思いが見えてきます。
(冬場は雪除けで一部覆われる為、拝観は初夏~秋がお薦めです)
川上御前は、背後にそびえる山頂に祀られており、毎年、春と秋に下宮にお迎えし、五箇地区を巡幸する例大祭が行われます。里人の信仰は篤く、神の御加護の元、紙漉きの伝統を大切に守り続けています。

◇懐紙を日常に

懐紙は二つ折りの和紙で、茶事で使う格式ばった物と思われるかもしれませんが、字の如く「懐にしのばせる紙」のことです。丈夫で柔らかい和紙の特性は、ティッシュやハンカチ、メモ用紙など、多様な用途に用いられ、生活になくてはならないものでした。 
懐紙の歴史は古く、平安時代の中期、貴族が和紙を身だしなみの道具や一筆書きとして使い始めたのが始まりといわれています。

和紙という素材と大きさから、一枚の懐紙が「拭う」「敷く」「包む」「書く」「折る」全ての用途に対応することになります。幅広く使える紙として、鞄に1つ入れておくと、外出先での不測の事態に対応してくれますし、毎日持ち歩くと、思わぬ使い途に気づくこともあります。

お酒の席でのコースター代わり、受け皿、取り皿、残果の包み紙、心づけを包む紙、一言便箋、小物を包む、メモ用紙、布巾…。中でも吸水性、吸脂性に富んだ和紙で作られている懐紙は、お化粧直しに最適です。汗を抑えたり、口紅を押さえたり、あぶらとり紙としても、活躍してくれます。

雪月花、紅葉、富士山、龍、菊、月見、雲、七宝、桜、蛍、土筆、水紋、鳳凰、それぞれの季節や気持ちに応じた懐紙が沢山あり、絵懐紙、浮彫り懐紙、干支懐紙、透かし懐紙、種類も豊富ですから、お好みを選んでみて下さい。
懐紙は二つ折りの和紙で、茶事で使う格式ばった物と思われるかもしれませんが、字の如く「懐にしのばせる紙」のことです。丈夫で柔らかい和紙の特性は、ティッシュやハンカチ、メモ用紙など、多様な用途に用いられ、生活になくてはならないものでした。 
懐紙の歴史は古く、平安時代の中期、貴族が和紙を身だしなみの道具や一筆書きとして使い始めたのが始まりといわれています。

和紙という素材と大きさから、一枚の懐紙が「拭う」「敷く」「包む」「書く」「折る」全ての用途に対応することになります。幅広く使える紙として、鞄に1つ入れておくと、外出先での不測の事態に対応してくれますし、毎日持ち歩くと、思わぬ使い途に気づくこともあります。

お酒の席でのコースター代わり、受け皿、取り皿、残果の包み紙、心づけを包む紙、一言便箋、小物を包む、メモ用紙、布巾…。中でも吸水性、吸脂性に富んだ和紙で作られている懐紙は、お化粧直しに最適です。汗を抑えたり、口紅を押さえたり、あぶらとり紙としても、活躍してくれます。

雪月花、紅葉、富士山、龍、菊、月見、雲、七宝、桜、蛍、土筆、水紋、鳳凰、それぞれの季節や気持ちに応じた懐紙が沢山あり、絵懐紙、浮彫り懐紙、干支懐紙、透かし懐紙、種類も豊富ですから、お好みを選んでみて下さい。

懐紙は二つ折りの和紙で、茶事で使う格式ばった物と思われるかもしれませんが、字の如く「懐にしのばせる紙」のことです。丈夫で柔らかい和紙の特性は、ティッシュやハンカチ、メモ用紙など、多様な用途に用いられ、生活になくてはならないものでした。 
懐紙の歴史は古く、平安時代の中期、貴族が和紙を身だしなみの道具や一筆書きとして使い始めたのが始まりといわれています。

和紙という素材と大きさから、一枚の懐紙が「拭う」「敷く」「包む」「書く」「折る」全ての用途に対応することになります。幅広く使える紙として、鞄に1つ入れておくと、外出先での不測の事態に対応してくれますし、毎日持ち歩くと、思わぬ使い途に気づくこともあります。

お酒の席でのコースター代わり、受け皿、取り皿、残果の包み紙、心づけを包む紙、一言便箋、小物を包む、メモ用紙、布巾…。中でも吸水性、吸脂性に富んだ和紙で作られている懐紙は、お化粧直しに最適です。汗を抑えたり、口紅を押さえたり、あぶらとり紙としても、活躍してくれます。

雪月花、紅葉、富士山、龍、菊、月見、雲、七宝、桜、蛍、土筆、水紋、鳳凰、それぞれの季節や気持ちに応じた懐紙が沢山あり、絵懐紙、浮彫り懐紙、干支懐紙、透かし懐紙、種類も豊富ですから、お好みを選んでみて下さい。

この記事のタグ :