縁結びの地・奥出雲で採れた天然水「仁多水(じんおおすい)」の公式ネットショップ

奥出雲の水「仁多水」

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水は全て繋ぐ

2020年3月

雛祭りは、中国から伝わった五節句(人日・七草がゆ、上巳・桃の節句、端午・菖蒲の節句、七夕・星祭、重陽・菊の節句)の一つで、本来「女の子のための行事」ではありませんでした。季節の節目は邪気が入りやすいとされ、「上巳(じょうし、じょうみ)」の頃は、暖かくなると同時に疫病が流行りだす季節にあたり、中国では水辺で身を清め穢れを祓い無病息災を願う風習がありました。
雛祭りは、中国から伝わった五節句(人日・七草がゆ、上巳・桃の節句、端午・菖蒲の節句、七夕・星祭、重陽・菊の節句)の一つで、本来「女の子のための行事」ではありませんでした。季節の節目は邪気が入りやすいとされ、「上巳(じょうし、じょうみ)」の頃は、暖かくなると同時に疫病が流行りだす季節にあたり、中国では水辺で身を清め穢れを祓い無病息災を願う風習がありました。

雛祭りは、中国から伝わった五節句(人日・七草がゆ、上巳・桃の節句、端午・菖蒲の節句、七夕・星祭、重陽・菊の節句)の一つで、本来「女の子のための行事」ではありませんでした。季節の節目は邪気が入りやすいとされ、「上巳(じょうし、じょうみ)」の頃は、暖かくなると同時に疫病が流行りだす季節にあたり、中国では水辺で身を清め穢れを祓い無病息災を願う風習がありました。

353年3月3日、書聖・王羲之が会稽山の麓の名勝・蘭亭で開いた、右左に曲がって流れる小川の辺りに座って一句詠んでは酒の入った杯をくみ交わし穢れを祓った「曲水の宴」が序文「蘭亭序」と共に日本に知れ渡り、書の本場で書聖と謳われた王羲之への関心、洗練された宴への感嘆、中国の高い文化や深い教養への憧憬を伴い、支配階級の間で穢れ祓いの儀式が広まっていきました。
353年3月3日、書聖・王羲之が会稽山の麓の名勝・蘭亭で開いた、右左に曲がって流れる小川の辺りに座って一句詠んでは酒の入った杯をくみ交わし穢れを祓った「曲水の宴」が序文「蘭亭序」と共に日本に知れ渡り、書の本場で書聖と謳われた王羲之への関心、洗練された宴への感嘆、中国の高い文化や深い教養への憧憬を伴い、支配階級の間で穢れ祓いの儀式が広まっていきました。

353年3月3日、書聖・王羲之が会稽山の麓の名勝・蘭亭で開いた、右左に曲がって流れる小川の辺りに座って一句詠んでは酒の入った杯をくみ交わし穢れを祓った「曲水の宴」が序文「蘭亭序」と共に日本に知れ渡り、書の本場で書聖と謳われた王羲之への関心、洗練された宴への感嘆、中国の高い文化や深い教養への憧憬を伴い、支配階級の間で穢れ祓いの儀式が広まっていきました。

【人形(ひとかた)】

縄文時代は多産や豊穣を祈る地母神として「土偶」を崇めていたようですが、古墳時代は「埴輪(はにわ)」が出現、やがて、藁に布を被せた「天児(あまがつ)」「這子(ほうこ)」が登場し、災厄を引き受ける身代わりの意味を持つようになりました。
縄文時代は多産や豊穣を祈る地母神として「土偶」を崇めていたようですが、古墳時代は「埴輪(はにわ)」が出現、やがて、藁に布を被せた「天児(あまがつ)」「這子(ほうこ)」が登場し、災厄を引き受ける身代わりの意味を持つようになりました。

縄文時代は多産や豊穣を祈る地母神として「土偶」を崇めていたようですが、古墳時代は「埴輪(はにわ)」が出現、やがて、藁に布を被せた「天児(あまがつ)」「這子(ほうこ)」が登場し、災厄を引き受ける身代わりの意味を持つようになりました。

【形代(かたしろ)】

形代(かたしろ)という身代わり信仰から、奈良時代には、紙や草で作った人形で自分の体を撫でて穢れを移し川に流す「邪気祓い」の行事が行われるようになりました。これが、現在でも残る「流し雛」で、季節を問わず紙の人形に自分の名前や年齢を書き、身体を撫で息を吹きかけ、神社でお炊き上げしてもらう「お祓い」としても今に残ります。
現在の雛まつりと比べると、意味も様式も異なりますが、最も古いお雛様の原型は奈良時代に生まれていた事になります。
形代(かたしろ)という身代わり信仰から、奈良時代には、紙や草で作った人形で自分の体を撫でて穢れを移し川に流す「邪気祓い」の行事が行われるようになりました。これが、現在でも残る「流し雛」で、季節を問わず紙の人形に自分の名前や年齢を書き、身体を撫で息を吹きかけ、神社でお炊き上げしてもらう「お祓い」としても今に残ります。
現在の雛まつりと比べると、意味も様式も異なりますが、最も古いお雛様の原型は奈良時代に生まれていた事になります。

形代(かたしろ)という身代わり信仰から、奈良時代には、紙や草で作った人形で自分の体を撫でて穢れを移し川に流す「邪気祓い」の行事が行われるようになりました。これが、現在でも残る「流し雛」で、季節を問わず紙の人形に自分の名前や年齢を書き、身体を撫で息を吹きかけ、神社でお炊き上げしてもらう「お祓い」としても今に残ります。
現在の雛まつりと比べると、意味も様式も異なりますが、最も古いお雛様の原型は奈良時代に生まれていた事になります。

【ひいな遊び】

平安時代の貴族の子女の間で「雛あそび」、現在のままごとに近い紙で作った人形遊びが流行していきます。雛は「大きなものを小さくする」「可愛らしいもの」という意味で、宮中の暮らしをそのまま小さく表現した人形遊びと「上巳の節句」が結びつき紙から立派な人形へ、川に流すものから飾るものへと変容を遂げ、今の「ひな祭り」に発展していったようです。
平安時代の貴族の子女の間で「雛あそび」、現在のままごとに近い紙で作った人形遊びが流行していきます。雛は「大きなものを小さくする」「可愛らしいもの」という意味で、宮中の暮らしをそのまま小さく表現した人形遊びと「上巳の節句」が結びつき紙から立派な人形へ、川に流すものから飾るものへと変容を遂げ、今の「ひな祭り」に発展していったようです。

平安時代の貴族の子女の間で「雛あそび」、現在のままごとに近い紙で作った人形遊びが流行していきます。雛は「大きなものを小さくする」「可愛らしいもの」という意味で、宮中の暮らしをそのまま小さく表現した人形遊びと「上巳の節句」が結びつき紙から立派な人形へ、川に流すものから飾るものへと変容を遂げ、今の「ひな祭り」に発展していったようです。

【安土桃山~江戸の雛】

安土桃山時代に桃の節句としての「雛祭り」が確立され、江戸時代初期になると形代の名残が残る男雛女雛一対の内裏を飾る立雛飾りが登場。
次第に造りも精巧になり、座り雛に変わって、十二単の装束を纏った「元禄雛」、大型の「享保雛」が作られていきます。
江戸時代後期に今の雛人形の形に近い古今雛が登場し、1700年頃から庶民の間にも雛祭りが広まり、五人囃子(能楽のお囃子を奏でる五人)、官女や随臣(右大臣、左大臣)、仕丁(三人の雑用係)の添人形も考案され、嫁入り道具も登場、スケールが大きくなっていきます。 明治時代は家の権勢を誇示するような派手な雛人形が増え、大正時代は豪壮な人形ブームは落ち着き人形と道具が一式になった小型なものが流行し始めます。
安土桃山時代に桃の節句としての「雛祭り」が確立され、江戸時代初期になると形代の名残が残る男雛女雛一対の内裏を飾る立雛飾りが登場。
次第に造りも精巧になり、座り雛に変わって、十二単の装束を纏った「元禄雛」、大型の「享保雛」が作られていきます。
江戸時代後期に今の雛人形の形に近い古今雛が登場し、1700年頃から庶民の間にも雛祭りが広まり、五人囃子(能楽のお囃子を奏でる五人)、官女や随臣(右大臣、左大臣)、仕丁(三人の雑用係)の添人形も考案され、嫁入り道具も登場、スケールが大きくなっていきます。 明治時代は家の権勢を誇示するような派手な雛人形が増え、大正時代は豪壮な人形ブームは落ち着き人形と道具が一式になった小型なものが流行し始めます。

安土桃山時代に桃の節句としての「雛祭り」が確立され、江戸時代初期になると形代の名残が残る男雛女雛一対の内裏を飾る立雛飾りが登場。
次第に造りも精巧になり、座り雛に変わって、十二単の装束を纏った「元禄雛」、大型の「享保雛」が作られていきます。
江戸時代後期に今の雛人形の形に近い古今雛が登場し、1700年頃から庶民の間にも雛祭りが広まり、五人囃子(能楽のお囃子を奏でる五人)、官女や随臣(右大臣、左大臣)、仕丁(三人の雑用係)の添人形も考案され、嫁入り道具も登場、スケールが大きくなっていきます。 明治時代は家の権勢を誇示するような派手な雛人形が増え、大正時代は豪壮な人形ブームは落ち着き人形と道具が一式になった小型なものが流行し始めます。

【雛まつりの変容】

時代によって多種多様な雛人形が生み出され、豪華な段飾りからコンパクトな物、人形の顔の流行り廃りもあり、素材も木質や陶器など、それぞれの時代に合ったお人形が登場します。けれど、一対の雛人形という基本は変わりません。そして、いつの世も、雛人形に込めた親の思い、子供の健康と幸せを願う心は不変です。
現代は多様な生き方があり、型に嵌ったしきたりもなくなりましたが、陰陽の調和が発展繁栄をもたらす原則だという原点を見失わない為にも年に一度、春めく弥生に一対の雛を取り出して、大人の雛祭りを楽しむことは大切なのかもしれません。
時代によって多種多様な雛人形が生み出され、豪華な段飾りからコンパクトな物、人形の顔の流行り廃りもあり、素材も木質や陶器など、それぞれの時代に合ったお人形が登場します。けれど、一対の雛人形という基本は変わりません。そして、いつの世も、雛人形に込めた親の思い、子供の健康と幸せを願う心は不変です。
現代は多様な生き方があり、型に嵌ったしきたりもなくなりましたが、陰陽の調和が発展繁栄をもたらす原則だという原点を見失わない為にも年に一度、春めく弥生に一対の雛を取り出して、大人の雛祭りを楽しむことは大切なのかもしれません。

時代によって多種多様な雛人形が生み出され、豪華な段飾りからコンパクトな物、人形の顔の流行り廃りもあり、素材も木質や陶器など、それぞれの時代に合ったお人形が登場します。けれど、一対の雛人形という基本は変わりません。そして、いつの世も、雛人形に込めた親の思い、子供の健康と幸せを願う心は不変です。
現代は多様な生き方があり、型に嵌ったしきたりもなくなりましたが、陰陽の調和が発展繁栄をもたらす原則だという原点を見失わない為にも年に一度、春めく弥生に一対の雛を取り出して、大人の雛祭りを楽しむことは大切なのかもしれません。

【雛を飾る時期】

雛人形を飾るのは、人形に穢れを移し厄災を引き受けてもらう意味もあるので、季節の変わり目、立春を過ぎた2月の中旬頃までに、飾り終えるといいようです。
一方、雛人形は早めに片付けるご家庭が多いようです。厄災の身代わりになった人形をいつまでも飾っておくのはよくないという考えからでしょうか。雛人形を結婚の象徴と捉え、片付けないと嫁に行きそびれるという迷信も根底にあるようです。
本来「上巳」の節句は旧暦の3月3日、新暦でいえば4月中半にあたります。この頃、古くから邪気払いに使われてきた桃の花が咲くことから桃の節句とも呼ばれたので、4月の上旬まで雛人形を飾っていても暦の上ではおかしなことではありません。
雛人形を飾るのは、人形に穢れを移し厄災を引き受けてもらう意味もあるので、季節の変わり目、立春を過ぎた2月の中旬頃までに、飾り終えるといいようです。
一方、雛人形は早めに片付けるご家庭が多いようです。厄災の身代わりになった人形をいつまでも飾っておくのはよくないという考えからでしょうか。雛人形を結婚の象徴と捉え、片付けないと嫁に行きそびれるという迷信も根底にあるようです。
本来「上巳」の節句は旧暦の3月3日、新暦でいえば4月中半にあたります。この頃、古くから邪気払いに使われてきた桃の花が咲くことから桃の節句とも呼ばれたので、4月の上旬まで雛人形を飾っていても暦の上ではおかしなことではありません。

雛人形を飾るのは、人形に穢れを移し厄災を引き受けてもらう意味もあるので、季節の変わり目、立春を過ぎた2月の中旬頃までに、飾り終えるといいようです。
一方、雛人形は早めに片付けるご家庭が多いようです。厄災の身代わりになった人形をいつまでも飾っておくのはよくないという考えからでしょうか。雛人形を結婚の象徴と捉え、片付けないと嫁に行きそびれるという迷信も根底にあるようです。
本来「上巳」の節句は旧暦の3月3日、新暦でいえば4月中半にあたります。この頃、古くから邪気払いに使われてきた桃の花が咲くことから桃の節句とも呼ばれたので、4月の上旬まで雛人形を飾っていても暦の上ではおかしなことではありません。

【菱餅】

「節句」の季節の変わり目には邪気をはらう為、旬の物を食べて生命力を取り入れる風習があります。「上巳」の節句では春の七草「ごぎょう」(別名・母子草)を使った餅が食べられていました。これが「緑」の菱餅のルーツです。(地域により蓬を使用)
この緑の餅が、現在の菱餅「赤」「白」「緑」になるのは明治時代以降のこと。緑の餅に最初に加わったのは「白」。白い餅には長寿の実と言われる「菱(ひし)の実」が使われています。その後、明治時代に入って魔除けの意味を持つ山梔子の「赤」が加わり、三色の菱餅が完成します。
仙人が食べていたといわれる「菱(ひし)の実」は、確かに霊験あらたかなお姿…。ウルトラマンに出てくる怪獣みたいで、食べたら翌朝、別の生物になっていそうな感じはします…。
「節句」の季節の変わり目には邪気をはらう為、旬の物を食べて生命力を取り入れる風習があります。「上巳」の節句では春の七草「ごぎょう」(別名・母子草)を使った餅が食べられていました。これが「緑」の菱餅のルーツです。(地域により蓬を使用)
この緑の餅が、現在の菱餅「赤」「白」「緑」になるのは明治時代以降のこと。緑の餅に最初に加わったのは「白」。白い餅には長寿の実と言われる「菱(ひし)の実」が使われています。その後、明治時代に入って魔除けの意味を持つ山梔子の「赤」が加わり、三色の菱餅が完成します。
仙人が食べていたといわれる「菱(ひし)の実」は、確かに霊験あらたかなお姿…。ウルトラマンに出てくる怪獣みたいで、食べたら翌朝、別の生物になっていそうな感じはします…。

「節句」の季節の変わり目には邪気をはらう為、旬の物を食べて生命力を取り入れる風習があります。「上巳」の節句では春の七草「ごぎょう」(別名・母子草)を使った餅が食べられていました。これが「緑」の菱餅のルーツです。(地域により蓬を使用)
この緑の餅が、現在の菱餅「赤」「白」「緑」になるのは明治時代以降のこと。緑の餅に最初に加わったのは「白」。白い餅には長寿の実と言われる「菱(ひし)の実」が使われています。その後、明治時代に入って魔除けの意味を持つ山梔子の「赤」が加わり、三色の菱餅が完成します。
仙人が食べていたといわれる「菱(ひし)の実」は、確かに霊験あらたかなお姿…。ウルトラマンに出てくる怪獣みたいで、食べたら翌朝、別の生物になっていそうな感じはします…。

【雛祭りカラー】

赤は桃の花、白は純白の雪、緑は新緑を表現しますが、この3色の組み合わせも色々あるようです。上から赤・緑・白なら、雪の中から新芽(蓬)が芽吹き、桃の花が咲いている。赤・白・緑なら、雪の下に蓬が芽吹き、桃の花が咲いているとなり、表現する時節や風景を違えたようです。
けれど、どうしてひし形なのでしょう。菱餅の形の由来は、菱の実の形を模したとか、大地を表す、四角を伸ばして長寿を祈願した、心臓の形など、諸説あるものの、いずれもはっきりしません。ちなみに平安時代のお正月の鏡餅は菱形だったとか。
赤は桃の花、白は純白の雪、緑は新緑を表現しますが、この3色の組み合わせも色々あるようです。上から赤・緑・白なら、雪の中から新芽(蓬)が芽吹き、桃の花が咲いている。赤・白・緑なら、雪の下に蓬が芽吹き、桃の花が咲いているとなり、表現する時節や風景を違えたようです。
けれど、どうしてひし形なのでしょう。菱餅の形の由来は、菱の実の形を模したとか、大地を表す、四角を伸ばして長寿を祈願した、心臓の形など、諸説あるものの、いずれもはっきりしません。ちなみに平安時代のお正月の鏡餅は菱形だったとか。

赤は桃の花、白は純白の雪、緑は新緑を表現しますが、この3色の組み合わせも色々あるようです。上から赤・緑・白なら、雪の中から新芽(蓬)が芽吹き、桃の花が咲いている。赤・白・緑なら、雪の下に蓬が芽吹き、桃の花が咲いているとなり、表現する時節や風景を違えたようです。
けれど、どうしてひし形なのでしょう。菱餅の形の由来は、菱の実の形を模したとか、大地を表す、四角を伸ばして長寿を祈願した、心臓の形など、諸説あるものの、いずれもはっきりしません。ちなみに平安時代のお正月の鏡餅は菱形だったとか。

【ひし餅の食べ方】

飾ったひし餅、どう食べます? お餅なので焼いて食べましょうと言われても、せっかくの三色が台無しです。小豆色のお汁粉にぷっかり浮いた三色のお餅は女子受けするかもしれませんが、ご年配の方からは、小豆と白のコントラストこそ端正な日本の美だ、とお叱りの声が聞こえるようにも思います。
そこで、電子レンジを使って「虹の大福」にしてみては如何でしょう?神様との約束、虹を伝って、大きな七つの福が到来するかもしれません。
材料) 菱餅80g、砂糖小1 、塩小1/8 、餡30g、片栗粉大1。
作り方)小さく角切りした菱餅を水にくぐらせザルにあげ、ボウルに入れてラップし500Wのレンジで1分半加熱。(菱餅が硬い場合は20秒ずつ加熱時間を足して調整)
片栗粉を広げたバットに移して平たくのばし、餡を乗せしっかり綴目を閉じます。
飾ったひし餅、どう食べます? お餅なので焼いて食べましょうと言われても、せっかくの三色が台無しです。小豆色のお汁粉にぷっかり浮いた三色のお餅は女子受けするかもしれませんが、ご年配の方からは、小豆と白のコントラストこそ端正な日本の美だ、とお叱りの声が聞こえるようにも思います。
そこで、電子レンジを使って「虹の大福」にしてみては如何でしょう?神様との約束、虹を伝って、大きな七つの福が到来するかもしれません。
材料) 菱餅80g、砂糖小1 、塩小1/8 、餡30g、片栗粉大1。
作り方)小さく角切りした菱餅を水にくぐらせザルにあげ、ボウルに入れてラップし500Wのレンジで1分半加熱。(菱餅が硬い場合は20秒ずつ加熱時間を足して調整)
片栗粉を広げたバットに移して平たくのばし、餡を乗せしっかり綴目を閉じます。

飾ったひし餅、どう食べます? お餅なので焼いて食べましょうと言われても、せっかくの三色が台無しです。小豆色のお汁粉にぷっかり浮いた三色のお餅は女子受けするかもしれませんが、ご年配の方からは、小豆と白のコントラストこそ端正な日本の美だ、とお叱りの声が聞こえるようにも思います。
そこで、電子レンジを使って「虹の大福」にしてみては如何でしょう?神様との約束、虹を伝って、大きな七つの福が到来するかもしれません。
材料) 菱餅80g、砂糖小1 、塩小1/8 、餡30g、片栗粉大1。
作り方)小さく角切りした菱餅を水にくぐらせザルにあげ、ボウルに入れてラップし500Wのレンジで1分半加熱。(菱餅が硬い場合は20秒ずつ加熱時間を足して調整)
片栗粉を広げたバットに移して平たくのばし、餡を乗せしっかり綴目を閉じます。

【桃】

木扁に「兆」と書く桃は、物事や生命の兆しを意味し、死などの悪い邪気を払い、不老長寿を与える神聖な植物でした。
古代中国に桃の花が流れる川の水(桃花水)を飲んだら三百歳の長寿を得られたという故事もあり、諸病を取り払い顔色を麗しくし百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の花を浸したお酒を飲む風習が古くからあり、白酒が定着するまで、桃の節句に桃花酒はつきものでした。
木扁に「兆」と書く桃は、物事や生命の兆しを意味し、死などの悪い邪気を払い、不老長寿を与える神聖な植物でした。
古代中国に桃の花が流れる川の水(桃花水)を飲んだら三百歳の長寿を得られたという故事もあり、諸病を取り払い顔色を麗しくし百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の花を浸したお酒を飲む風習が古くからあり、白酒が定着するまで、桃の節句に桃花酒はつきものでした。

木扁に「兆」と書く桃は、物事や生命の兆しを意味し、死などの悪い邪気を払い、不老長寿を与える神聖な植物でした。
古代中国に桃の花が流れる川の水(桃花水)を飲んだら三百歳の長寿を得られたという故事もあり、諸病を取り払い顔色を麗しくし百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の花を浸したお酒を飲む風習が古くからあり、白酒が定着するまで、桃の節句に桃花酒はつきものでした。

【白酒】

雛祭りの白酒(しろざけ)は、みりんに蒸した米や麹を混ぜて1カ月ほど熟成させたアルコール度数9%のお酒です。独特の粘りと甘みで女性にも飲みやすく、桃との対比の紅白もめでた尽くしなので、雛祭りに飲むお酒として定着していきました。
一方、白酒(しろき)は神事に供される酒、白酒(はくしゅ)はどぶろく、読み方で別のお酒を指します。甘酒も白酒と混同されがちですが、ご飯やお粥に米麹を混ぜて一昼夜55度前後で保温し、澱粉から甘い糖分を引き出した物。この方法で作られたものはアルコール度数1%未満です。酒粕に砂糖や水や生姜を加えた甘酒はアルコールを含んでいるので、凍てつく中で飲むと身体の芯から温まります。でも、この甘酒、じつは夏の季語で、氷で冷しながら売っていたのです。江戸時代の夏バテ防止の栄養ドリンクだったのですね。
雛祭りの白酒(しろざけ)は、みりんに蒸した米や麹を混ぜて1カ月ほど熟成させたアルコール度数9%のお酒です。独特の粘りと甘みで女性にも飲みやすく、桃との対比の紅白もめでた尽くしなので、雛祭りに飲むお酒として定着していきました。
一方、白酒(しろき)は神事に供される酒、白酒(はくしゅ)はどぶろく、読み方で別のお酒を指します。甘酒も白酒と混同されがちですが、ご飯やお粥に米麹を混ぜて一昼夜55度前後で保温し、澱粉から甘い糖分を引き出した物。この方法で作られたものはアルコール度数1%未満です。酒粕に砂糖や水や生姜を加えた甘酒はアルコールを含んでいるので、凍てつく中で飲むと身体の芯から温まります。でも、この甘酒、じつは夏の季語で、氷で冷しながら売っていたのです。江戸時代の夏バテ防止の栄養ドリンクだったのですね。

雛祭りの白酒(しろざけ)は、みりんに蒸した米や麹を混ぜて1カ月ほど熟成させたアルコール度数9%のお酒です。独特の粘りと甘みで女性にも飲みやすく、桃との対比の紅白もめでた尽くしなので、雛祭りに飲むお酒として定着していきました。
一方、白酒(しろき)は神事に供される酒、白酒(はくしゅ)はどぶろく、読み方で別のお酒を指します。甘酒も白酒と混同されがちですが、ご飯やお粥に米麹を混ぜて一昼夜55度前後で保温し、澱粉から甘い糖分を引き出した物。この方法で作られたものはアルコール度数1%未満です。酒粕に砂糖や水や生姜を加えた甘酒はアルコールを含んでいるので、凍てつく中で飲むと身体の芯から温まります。でも、この甘酒、じつは夏の季語で、氷で冷しながら売っていたのです。江戸時代の夏バテ防止の栄養ドリンクだったのですね。

【豊島屋の白酒(しろざけ)】

ひな祭りと白酒(しろざけ)が結びついたのは江戸時代。白酒を求める人が遠くから押し寄せ、夜明けから店の前に並ぶようになったのは、初代豊島屋十右衛門の夢枕にお雛様が現れ、白酒の美味しい作り方を伝授されたことに由来。それが江戸中の評判となり、徳川将軍も愛飲されるようになりました。
「江戸名所図会」で「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商う図」として紹介され、豊島屋の前に医師ととび職が待機しており殺到する客が怪我をするのに備えている様子が描かれています。(今の救急車と消防車というわけですね)
怪我人が出る程だったこの白酒、今も同じような作り方で販売されているとか…。今年の雛祭りにお一つ(180ml)如何ですか?
ひな祭りと白酒(しろざけ)が結びついたのは江戸時代。白酒を求める人が遠くから押し寄せ、夜明けから店の前に並ぶようになったのは、初代豊島屋十右衛門の夢枕にお雛様が現れ、白酒の美味しい作り方を伝授されたことに由来。それが江戸中の評判となり、徳川将軍も愛飲されるようになりました。
「江戸名所図会」で「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商う図」として紹介され、豊島屋の前に医師ととび職が待機しており殺到する客が怪我をするのに備えている様子が描かれています。(今の救急車と消防車というわけですね)
怪我人が出る程だったこの白酒、今も同じような作り方で販売されているとか…。今年の雛祭りにお一つ(180ml)如何ですか?

ひな祭りと白酒(しろざけ)が結びついたのは江戸時代。白酒を求める人が遠くから押し寄せ、夜明けから店の前に並ぶようになったのは、初代豊島屋十右衛門の夢枕にお雛様が現れ、白酒の美味しい作り方を伝授されたことに由来。それが江戸中の評判となり、徳川将軍も愛飲されるようになりました。
「江戸名所図会」で「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商う図」として紹介され、豊島屋の前に医師ととび職が待機しており殺到する客が怪我をするのに備えている様子が描かれています。(今の救急車と消防車というわけですね)
怪我人が出る程だったこの白酒、今も同じような作り方で販売されているとか…。今年の雛祭りにお一つ(180ml)如何ですか?

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